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免許返納のその前と後

我が家の祖父は昨年秋に運転免許を返納した。
返納して、「はい、良かったね」とはならなかった。そんな話。

我が家の祖父は数年前に心筋梗塞を起こして入院した。あの年末はドタバタしたし、今でも思い出す。

祖父は旅行が好きで車で祖母や私を連れてよく安曇野とか山の方に連れてってくれた。彼にとって車は多分人生における大きな趣味だったと私は思う。私は生粋のおじいちゃんおばあちゃんっ子だったので、祖父の車には大変お世話になった。

そんな祖父から私たち家族は『車の運転免許』を奪い取る、返納させることにした。
理由は2つほど。
病気と年齢、事故のふたつ。

まずは病気と年齢。
心筋梗塞を起こして入院、手術、入院を繰り返した。そして、手放せなくなった薬たち。いつ発作が起こるか分からない。もし、運転中に発作が起きたら?と考えたら怖かった。
それに加えて年齢。いつの間にか後期高齢者を超えていた。祖父本人の認知機能が低下してきていたから。これは本人も「俺はもうテストには受からん…」と零していた。

次は事故。高齢者がアクセルとブレーキの踏み間違えで人を死なせてしまった、傷つけてしまったというニュースが多かった時だった。事故を起こしたら取り返しがつかないから。それが理由だった。

これだけなら、祖父本人が返すって言ってるならとっとと返せばいいじゃないかと思う。それが出来なかった。車の免許を持たない祖母の存在があった。 
 
祖母は車の運転免許も持っていないため、買い物や職場への送迎を祖父の車の運転に頼っていた。地元は車が移動手段の第1選択になる地域だった。
祖母は最後の最後まで祖父の免許返納に反対し、今も「あの時返して無ければ色々と出かけられるのに」とこぼしている。
そして、祖母がよく言っていたのは「近所の○○さんは90歳でも車乗ってるのになぜうちはやめるのか」ということだった。
祖父は大きな事故を起こしたことはないし、近所だけなら大丈夫だと思っているのかもしれない。
でも、1回人を傷つけてしまえば近所だろうが遠くだろうが関係ないことを根気強く繰り返すことしか出来なかった。

ここら辺が我が家の良くなかった部分だと私は思う。祖父が車を辞めるということは誰かが祖母の足にならなければならない。それができるのは私か母の2択だった。父は仕事で居ないため、除外。

この段階で私はそのうち実家を出ることが決まっていたので、母が祖母の足になることが確定していた。これまで母は祖母と出かけることは滅多になかったし、自分のタイミングで買い物に行っていたなんてことは我が家ではよくある話だった。
母は今も、祖母の買い物に付き合ったり、雨の日の職場への送迎を行ってくれている。

そして、返納後。私は祖父にmanacaを渡した。使う練習もした。電車やバスに乗れば病院や市街地に出ることができるから。祖母も一緒にmanacaを使い電車で市街地へ出かけることもある。
これまで車中心の生活を送ってきた祖父にとって電車というものはまた違った景色を運んできてくれるのだろう。以前、祖父と電車に乗った際は楽しそうに昔の話を聞かせてくれた。勉強になった。

免許返納を目の前にして学んだこと
・本人の意思を尊重すること
…やめるという選択を受け止めること。これは家族内では時間がかかった。
・免許返納後の生活をイメージしておく
…manaca購入や実際に使う公共交通機関に一緒に乗って出かけることや車での送迎が必要な時に頼みやすい雰囲気を作っておくことが必要。
・免許返納する本人以外のことも頭に入れる
…本人以外で困り事が発生しそうなら早めに手を考えること。これは今も頭が痛い。

我が家の家庭環境もまあそれなりにややこしいので結構頭を捻りながら免許返納と向き合った気がする。個人的には免許返納を躊躇うのも少し分かる気がした。きっとこれからも免許返納問題はどこかで向き合わなきゃ行けないものだと思うので、ここに書き残しておく。

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