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【緊急】子どもの「避難場所」を保障しよう〜静岡母親刺殺事件から〜

静岡の母親刺殺事件。悲しい事件がまた起きてしまいました。スマホをめぐってのトラブルのようです。この事件のストーリー上、スマホの問題、子どもが殺人を犯してしまった時の刑法の問題などに話題が集中するのは仕方がないと思います。しかし私は、現代子ども論から考えてみたいと思いました。今の子どもたちが抱えている「生きづらさ」について考えてみたいのです。ちなみに、彼女がそうであったという話ではありません。彼女が起こしてしまった事件を入り口にして、今の子どもたちがおかれている状況を考える義務が私も含めた私たちにはあるのではないかということです。

今の子どもたちの「生きづらさ」ってなんでしょうか。常に明るい笑顔で「良い子、明るい子」と評価され、考え方はフラットであることを前面に出しながらも、実は強い力や多数派に従順でなければならないこと。そして、その場に合ったキャラを設定して使い分け、常に集団からはじかれないようにに注意を払うこと。そんな嘘芝居を仲間同士で了解の上演じなければならない「生きづらさ」の毎日。

そんな現代の子どもたちには、「心の避難場所」が必要です。それが家族関係。親子関係であったり、友人関係であったり、ネット社会であったり人それぞれです。そんな子どもたちの「避難場所」は甘えられる空間でなければなりません。多少のだらしなさと、けじめのなさをさらけ出しながら、それが許される空間でもあります。そんな空間を持つ子どもは、外では「良い子」でいるように努力していることが多いのです。そんな外での努力が必要かどうかは別として......。子どもの「最後の避難場所」を大切にされなければならないと考えています。

一方で、「最後の避難場所」だと信じ、信頼していた関係に裏切られると、逃げ場がなくなり追いつめられることがあります。そんな時には、キレたり自分を見失ったりするのです。今回の事件が、親子関係を最後の避難場所にしていたのか、スマホで繋がった友達関係を避難場所にしていたのかはわかりません。ただ、それが力づくで奪われようとしたことは間違いないようです。起こしてしまったことは絶対に許されないし、償いが必要です。しかし彼女がなぜこんなにもキレてしまったのかは、私も含めた大人たちは向き合わなければならないのだと思います。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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