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教育活動を統一させてはならない

足なみをそろえるいちばん簡単な方法は何もしないことです。そして「やらないことで足なみをそろえようとすること」は日本の学校現場の不孝な傾向です。そのことは教師の実践の自由をうばい教師の研究意欲と指導の進化を止めました。教師が一人ひとりが個性ある授業や指導をすることこそ教育の質を高めることになります。

最近「学校スタンダード」と称して授業の流れや発問..、子どもの挙手の仕方から頷き方まで統一させようとする動きがあります。それは無理なことであり、ありえないことです。なぜなら授業は子どもの反応も含めて「授業」だからです。そしてその反応は生き物であり想定を常に超えているはずだからです。

学級によって授業の反応が違うのはあたりまえ。違う反応を生み出す授業こそ考えさせる授業。それを統一しようとするとその流れや形式にこだわってしまい目の前の子どもの声にかまっていられなくなります。授業は統一などできていないのです。どの教師も同じように指導しているなどというのは偽善です。

教師の指導を何でもかんでも統一させようとすることは実はそこについていけない子やついていこうとしない子をあぶりだし、排除することにつながるので注意が必要です。足なみをそろえることが、実は個性ある子どもを排除していることにつながっていることに気づく必要があるのではないでしょうか。

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