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子どもたちの裏文化を励ます

子どもたちはルールを守りつつ、その裏で教師批判をしたり "見つからないように" 悪い事をやったりしています。こうした子どもの「裏文化」はそもそも健全なものでした。教師の口癖を真似したり失敗を笑ったりしつつ、教師を愛すべき一人のおとなとして「裏文化」の中で前向きに受け入れていたのです。

子どものわらべ歌や、口ずさんでいた歌も「裏文化」だとも言えます。子どもたちの歌の中には死んだとか殺すとか首を切るとかそういった歌詞がたくさん出てきます。子どもたちはそんな「裏文化」の中でその価値に触れいつしかそういったことを批判的に乗りこえていくのです。それが大人になることです。

子どもたちの「表」と「裏」の境界を破ったのは学校であり教師です。あれもいけないこれもいけないと子どもたちの成長の場である「裏文化」に介入していきました。「道徳」の教科化などもそのうちの一つ。そして今、大人たちによって破られた境界を超えて子どもたちからの「仕返し」が始まっています。

子どもたちは「裏文化」を表に持ち込み学校を教師を、徹底的に批判し壊し始めています。それに対して大人は力でねじ伏せたり優しさで包み込んでごまかそうとしたり理解したふりをして上から説得しようとしたりしています。大切なのは子どもたちの「裏文化」を保障し、励ましていくことのはずなのです。

子どもたちは大人が介入してきた「裏文化」に代わって、ネット上に「闇文化」を作り始めました。そこでは、仲間への誹謗中傷、笑えない悪ふざけ、いじめが展開されています。大人たちは再び慌てて介入し始めました。今思えば大切であったのは、「裏文化」を保障して自治を大切にすることだったのです。

子どもたちの健全な発達を保障するために、教師は子どもたちの「裏文化」を肯定して励ます必要があります。そのために教師は、今日の支配的・管理的な教育行政・学校体制、そして教師個々の支配的なスタンスについて、批判的に介入しつつ改めていくスタンスを持つことが求められているのだと思います。

(*ᴗˬᴗ)⁾⁾

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