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何でナッツバー作ってるんですか?(はじまりのWHY ME)

どうもコンニチハ、さかわきと言います。
2023年7月時点ではサラリーマンをしながら、ナッツバーを自主製造/EC販売、お菓子のサンプリングサービスの事業準備、パウチ型プロテインスープの事業化準備などをやっています。

最近は有難いことにナッツバーを作っている人とも認識していただく中、やはりお菓子を展開する中でも特殊と言わざるおえない選択だったため「何で、ナッツバーなんですか?」と、質問をいただくようになりました。
自分としてもその時々の気分お相手に合わせて説明をしていたので、一度しっかりまとめてみようかと思った次第です。

今回のnoteでは、自分の働く中の根本的なWHY MEみたいなことが分かると思います。まあ、ここまで言語化できるようになるのに紆余曲折2年くらいかかりましたが、お話の骨子は以下の3点です。それでは、レッツゴー。

  1. 6歳でアイデンティティできちゃった

  2. メンコと折り紙で儲けていく日々

  3. 無いモノは自分で造り出せ

1.6歳でアイデンティティ確立しちゃった

実は、私 4~10歳までイギリスで過ごしてきました。しかも両親の教育方針からゴリゴリの現地校にポイっと放り込まれる。もちろん英語は分からない。弟も一緒に幼稚園に入ったので、その中で兄としてフォローしていく日々。きっとここで動じぬ精神と人の感情等々を読み取り過ぎる能力は開花したのでしょう(この話は機会があれば、どこかで)

少し英語にも慣れて友達とも話せるようになったある日の雑談。
友人:「Shuta、知ってるか?」(あ、自分しゅうた言います)
ワシ:「知らん」
友人:「車とか家電とか日本の会社てスゲーんだぜ!」
ワシ:「え、そうなん?ホンマに?」(何かコイツ鼻息荒いな、、)
友人:「オトンが言うてたわ!」
ワシ:「みんなハイチュウは好きやけどな」
友人:「おーあれまたスナックタイムに持って来いよ!」
(ha-hahhahhahha)

割と差別チックなことも、謎のクラスメートからの罵倒もあり、嗚呼しんどいと思っていたことを覚えている。でも、このやりとりが自分が日本人だってこと。こんな飛行機でも遠い国でモノづくりが評価されているってこと。何か地球儀レベルで見たときの自分の位置を理解した瞬間でした。
こう一回地球を空から見ちゃうと、まあ本当に国も性別も人種もひっくるめて皆等しく人間よなっていう意識があり。みんな違ってみんな良いから得意なこと持ち寄ってハッピーに行こうぜ!って、マインドが自分には根幹にあるようです。

物心がつくのとほぼ同時だったので、当たり前に自分にインストールされすぎたことが後に色んなメリット/デメリットを生むのですが、これも一長一短なので良いでしょう。

2.メンコと折り紙で儲けていく日々

結論、両方とも自分のスキル×得意なことで楽しく儲けることができたという今思えば成功体験みたいな話です。

メンコで勝ちすぎて問題になる

イギリス小学校時代にPOG (ポグ) という牛乳瓶サイズくらいのメンコが流行りました。イギリスにメンコの文化があったかどうかは知らないのですが、メンコは日本の昔遊びの代表格な訳で気になる。当時お小遣いもなかったので友達から数枚もらって休み時間に友達と混ざって遊んでいました。
ルールは簡単。基本的には1on1で勝負、1枚ずつメンコを出して2枚重ねた状態でメンコに同サイズのプラスチック製のメンコをぶつける。ひっくり返れば、そのメンコを自分のものにできる。

はい。メンコのコツを知っていて、正確にポイントをぶつけることが得意だった僕は割と無双しました。対戦相手が現れない程に無双してしまったため、自分が負けたら2倍以上のメンコを渡すという縛りルールを交渉して設けたほどに。
それでもやはり勝ってしまい手持ちが多くなりすぎるので、ランチ支払いの残りのコインを持っていそうな奴に売るというプチ商売が完成しました。

言うまでもなく、そもそもメンコで勝ちすぎるということは淘汰される人間がいるということでして。程なくして、学校の問題になりPOGは禁止になりました。

POG(ポグ)が現地小学校で流行

折り紙で喜ばれてお金を手に入れる

イギリスは治安のこともあり、放課後は自宅の中で過ごすことがメインでした。その中で暇つぶしにやっていたのが折り紙。紙一枚、しかも切らない、糊も使わないのに複雑なものが出来上がっていく。結構好きでした。

日本では当たり前の折り紙でしたが、当時のイギリスではまだあまり知られていませんでした。工作の時間で作っていたら、あれよあれよと大人気。「教えてくれ!」と、言われれば教えていたのですが、シンプルに周りは自分より手先が不器用すぎた。

というより、恐らく自分が割と器用な方だったらしい。結局、最後の方は欲しいと言われれば作ってあげていた。スペシャル仕様の作品、1㎝四方の紙で折った折り鶴なんかを並べてショールーム化し、これまた販売する。
相手も珍しいもの、自分にはできないものをリーズナブルな価格で買って嬉しそう。自分も得意なコトや自分の国(日本)の文化を欲しいと言われてハッピー。こういうのって良いよなって記憶があります。

3.無いモノは自分で造り出せ

自分の育った家庭は、有難いことに特段生活をするのに不自由な生活はしてこなかった。幼少時代のことだけを切り抜くとだが、一方でイギリス時代は環境的に、日本に帰ってきてからは教育方針的にそのとき欲しいというものが手に入らないことが多かったと思う。

この経験は、親や親戚の影響もある思うが、無いモノなら或いは自分たちにピッタリ欲しいものが売ってない/買えないなら自分で作ってしまおうぜっていう生活をしていた。
何もこれは別に大そうなモノを作っていたわけではなく、おもちゃ、欲しいギミック、ちょっとした建設物、おやつ等々、無いから諦めるのではなく何とかして有るもので創り出すというのが当たり前(じゃないと本当にお金があっても手に入らないから)の思考をしていました。

たぶん、このへんが会社で働いていて部門担当と思われる人から「できない」「やったことない」と手を動かすつもりのない返事を受けるとカッチーーンとなポイントなのではないかと考えています。
自分は何か創ることが得意なのかもしれないのですが、大体のものはイメージできてたら創れます。完璧じゃなくてもいい。だって、そもそも完璧なものなんて存在しないんだもの。

まとめ

はい。タイトルにはじまりのWHY MEと書いてみたものの起点みたいなお話になりました。ざっくりまとめると自分の手で何か創ろうとしちゃっているのは、以下のとおりですね。

  • 自分が世界の中の日本人だと認識しているから

  • 日本の文化って何か誇れるものになれるよね

  • ていうか、自分たちの文化ってお金を払うに値すると体験している

  • 自分の得意なことで喜んでくれるってめっちゃハッピーやん

  • イメージしたモノは全部創れる。impossible nothingやで。

こんな風な思考なので、今は自分の目指す世界観に手を動かしているのだろうと思います。まあ、また需要が無いにしてもこれにまつわることは書いていこうかなと思っています。

ではでは。

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