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アウトプットしよう、という話。

noteに限らずTwitterXなんかもそうなんですが、「みんなに見てもらう記事を書こう!」という気持ちがあるのは良いものの、どんなものを書けば見てもらえるかという考えばかりが先まわって何も書かない…という状態にちょっと陥っているなと最近感じたり。

イラストであってもとにかくまず描け、それを評価してもらわないことには話が始まらないという話は昔からよく耳にします。
最近だとAI生成の話もありますが、あれも「欲しいと思えるイラストを生成するためのプロンプト」は一発では書けないわけで、その辺も指針記事こそあれどある程度の試行錯誤は必要になってくる話。
その試行錯誤のコストが実際に描くよりもAI生成でのほうが低いから試さなきゃ損、というムーブメントの理由になっているように思います。
文章の話でも最近は小説もAI生成で書かせる的な話もできると聞いて創作はどこへ向かうんだろうという感情もあったりなかったり。

昔の毒舌な知人が「評論家は、モノをつくる専門家になれなかった人のなれの果て」と語ってはいたのですがインプットをたくさんし舌は肥えたけど何もアウトプットできていないというタイプの人間になっていないか?
少なくとも、その得た知識は自分だけのものにしていないか?それを知識のない人に対するマウンティングの道具にしていないか?というのは自分自身に対し問わないといけないなぁと。

他人を傷つけるものでなければいくらでもアウトプットしていかないと、と思う今日この頃です。

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