【中編】娘が入院した話。
この話の続きです。
※途中、治療内容の詳細が出てくるので読むのが辛い人はご注意ください。
朝を迎えた。この日は土曜日。夫婦共に仕事は休みだし、面会も朝10時からなのでゆっくり寝ていていいはずなのに、いつも通り6時に目が覚めた。
リビングに向かうと、娘がいないというだけで部屋ががらんとしている。言葉を発すれば壁からこだまが聞こえてきそうだ。
「おたよ~(おはよう)」と言いながらドタドタ走る音も聞こえない。
朝はいつもバタバタしているのに、やることがない。
とりあえず朝ごはんを食べよう。パンを焼き始めた。
家の中が静かだからテレビをつけよう。我が家は娘にテレビを見せないことにしているので普段は全くつけない。埃をかぶったリモコンをかざすと、朝の情報番組が流れてきた。焼きあがったパンを食べながらぼんやりと見ていたのだが、全く頭に入ってこない。
パンを食べ終えた後はテレビを消して携帯を眺めてみた。ソファにもたれかかってただひたすらにダラダラ過ごしたい―普段あれだけ憧れていることを今できているのにも関わらず15分もすれば飽きてしまう。時間を無駄にしてしまったという後悔が押し寄せてくる。
そうだ!こんな時こそ家事をしよう。きれいに掃除機をかけてワイパーがけをし、娘のおもちゃの片づけを始めた。棚の上を整理しているとふと手がおもちゃに当たった。「アンパンマンをたべたいぞ!!」というバイキンマンの声が空しく響いた。
さて、面会は夫婦どちらか1人しかできなかったので、土日は先に夫が面会をし、その後私と交代して面倒を見ることにした。
夫を見送った後、しばらくぼーっと過ごしていると1通のLINEが届いた。
「娘ちゃん、無表情で全然反応しない。」
う〜ん、これは何だかとてもマズい気がする。娘は人見知りなところはあるものの、基本的には陽キャラで喜怒哀楽がはっきりしている典型的な2歳児だ。一体病院でどう過ごしているのだろう。気になって仕方がない私は夫が帰ってくると足早に病院へと向かった。
外を歩いている時はノーマスクだったが、病院に着いてからは面会の規則により、不織布マスクのうえにウレタンマスクを装着した。コロナ禍真っ只中でも二重マスクなんてしたことがなかった。健康でもかなり息苦しい。ただ、病院独特の匂いを嗅がずに済んだのはよかったと思う。
病室に着くと娘は背中を丸くし、横たわりながらDVDを見ていた。私に気づくと目からポロポロと涙を流して「ママ…」と抱きついてきた。
靴を脱げばベッドにあがってもいいと言われていたのでベッドにあがり、まずは娘をひたすら抱きしめた。
しばらくすると落ち着いてきたので改めてあたりを見渡した。
部屋には小さな赤ちゃんから小学生までの4人の子供がいた。仕切りはカーテン1枚なので室内の話し声はダダ漏れである。これは後で気がついたことだが、どうやら同じ病気の子供を1つの部屋にまとめているようだった。
ベッドは子供が落ちてしまわないよう四方に柵がついていた。横幅はホテルのシングルベッドほど、縦幅は身長160cmの私がようやく寝転べるほどの長さだった。ベッドの長辺部分は可動式になっており3段階の高さ調節ができるのだが、油が足りないのか動かすたびにギーギーと不快な音を立てた。娘は退院までほぼ1日中このベッドの中で過ごした。
ベッドの横には小さな棚があり、そこには病院のスタッフさんが娘の着替えをきれいに畳んでしまってくれていた。棚の下には小さな金庫と冷蔵庫があった。だが面会中の親は病室で飲食禁止であるうえ、子供たちへ飲食物を持ち込むことも禁止されていたので、冷蔵庫は使う機会がなかった。
しばらくすると看護師さんがやってきた。「心配になるかもしれませんが…」という前置きの後、娘が朝はずっと泣いてママを探していたこと、ご飯をほとんど食べていないこと、夜はよく寝ていたが血中酸素濃度が低いので何度か体位を変えたことを知らせてくれた。
昨日「しっかりお世話します」という看護師さんの言葉に安心しきっていたが、現実は付き添いなしの入院が2歳児にとって、少なくともうちの娘にとってはとてつもなく負担が大きいことをようやく理解した。しっかりお世話するという看護師さんの言葉は嘘ではない。娘の健康管理をしてくれているのはもちろんのこと、ご飯の提供やおむつ交換なども確かにきちんとしてくれている。でも看護師さんは看護のプロであって保育のプロではない。少ない人数でたくさんの子供の面倒を見るわけだから、看護をまず最優先にしたうえでさらに身の回りのお世話をするのは重労働である。ちょっと泣いたからと言ってすぐに抱きにいける余裕はないし、ましてや1:1で子供の遊びに付き合う時間なんてなかなか取れない。
私の想像力が足りなかった。
今からでも娘の心のケアをしなければ。
この時、ようやくこの状況に正面から向き合う覚悟ができた気がした。
だが覚悟を決めても私ができることはあまりなかった。
私との話が終わった看護師さんは娘のベッドの横に置いてあるカテーテルを手に取った。
「あと30分ほどしたらおやつの時間です。食べている途中で苦しくならないよう鼻水の吸引をします。」
と言うと大きなバスタオルで娘の体をぐるぐる巻きにした。腕と足を抵抗できない状態にすると、細いカテーテルを思いっきり娘の鼻の中に入れ始めた。
娘は顔を真っ赤にして泣き叫びながら、動かせない手足をなんとか動かそうともがき、顔を左右に揺らして抵抗した。時々大きくえずく様はあまりにも可哀想で見ていられなかった。娘が顔を大きく動かすと血管を傷つけてしまったのか、カテーテルに血が滲んでいることもあった。
これを1日4回食事の30分前にやるのだ。治療の一環なので辞めて欲しいと言うわけにもいかず、終わったらただ恐怖で痛くて泣き叫ぶ娘を抱きしめることしかできなかった。娘を産んでからこれほど自分が母親として無力だと感じたことはなかった。
そして、そこまで辛い思いをしたのにも関わらず、肝心のおやつは全然食べなかった。
おやつの時間を終えてからはまた晩御飯まで抱っこしながら本を読んだりDVDを見たりしながら過ごした。
途中、トイレに行きたくなった。できれば水も飲みたい。そこで娘のベッドから降りて靴を履こうとした。
すると娘が目に涙をいっぱい溜めながら
「ママだいすき。だからひとりにしないで。」と懇願してきた。普段は2歳なりの不明瞭な発音で何度も聞き返さないと理解できないことが多いのに、この時は驚くほどはっきりと言ってきた。
「ごめんね、ママ、どうしてもトイレに行きたいの。すぐに戻ってくるからね…」とベッドの柵を引き上げると娘はこの世の終わりであるかのように突っ伏して泣き始めた。私は大急ぎでトイレへと向かった。娘の泣き声は廊下の外まで響いていた。
トイレは小児病棟の外にあり、出る時も入る時もスタッフに声をかけて開けてもらわなくてはいけなかった。皆開けてはくれるものの、明らかに面倒くさそうにしていた。なので出入りする回数をできるだけ少なくしようと気を遣った。
水分は小児病棟内の休憩所でなら飲むことを許された。本当はホッと一息つきたいところだがそんな余裕もなく、さっと飲んで娘のもとに帰った。
夕飯の時間が近づき、また吸引の時間がやってきた。娘は看護師さんが部屋に入ってくるだけで恐怖で泣いていた。
そして夕飯が配膳された。
レストランの料理のように見栄えはしなかったが、栄養バランスはもちろんのこと、煮物におひたしといった具合で食べやすさもきちんと考慮された献立だった。温度管理もしっかりされていたし、娘が食べやすいように一口サイズに切り分けられていた。1つ1つのおかずはどれも丁寧に作られていた。特にほうれん草にしらすを混ぜたおひたしは家でも作ってみたいと思った。
でも娘は白米と飲み物以外は頑なに口にしなかった。「食べないの?」と聞いても「いらないよ!」「大きくなったら食べる!!」と聞かない。ご飯におかずを混ぜようとしたら怒り出し、手でおかずを全て払い除けて白米だけ食べた。手付かずのおかずが本当にもったいなくて、食べてもいいなら私が食べるのにと何度も思った。
食事が終わると寝かしつけの時間だ。同室にいる他の親も子供を寝かしつけながら帰る身支度をしている。幼児の「ママ、行かないで!」という泣き声も辛いが、小学生のすすり泣きもかなり心が抉られる。
一方、娘は夕飯を食べるとウトウトしていた。一緒にベッドに横たわり添い寝をしているとすぐに寝てくれた。
あ〜、良かったと思うのはまだ早い。少し動かすだけでギーギーとうるさいベッドの柵を引き上げなければならないからだ。
ベッドから降りるとそっと靴を履き、身支度を整え、満を持して柵を引き上げたがやっぱり起きてしまった。
「ママ、行かないで!いっしょにねんねしようよ!!」と娘が泣きながら訴えてくる。
「ごめんね」と謝りながら柵を引き上げたままベッドの外から寝かしつけてみようと試みるがこれもうまくいかない。「ママ、ここでねんねしてほしいんだけど?」とベッドの空きスペースを指してくるのだ。“春日のココ、空いてますよ“みたいな言い方に思わず笑ってしまった。
仕方なくまた柵を下げ、寝かしつけをする。眠りが深くなるのを待ってまた柵をあげる。やっぱり起きる。これを3回繰り返した。こういう育児能力の低さには自分でも辟易してくる。
「ごめん、ママ帰らなきゃ。また明日必ず来るからね」私は結局寝かしつけられないまま病室をあとにした。帰り道は娘の悲痛な泣き声が耳にこびりついて離れなかった。
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