【前編】娘が入院した話。

9月のはじめのこと。娘が久しぶりに熱を出した。
ちょうど仕事が忙しくなってきたのによりによってなぜ今なんだ。娘もしんどいだろうが私も泣きたい気分だった。

とりあえず、熱が出た次の日は仕事を1日休んで小児科に行った。検査の結果、コロナとアデノウイルスは陰性だと分かったので、翌日からは病児保育に行かせた。
毎日規則正しく薬を飲み、また別の日は耳鼻科へ行って鼻水を吸ってもらったのにも関わらず、娘の病状はだんだんと悪くなっていった。そしてついに病児保育から「保育中の診察で胸から雑音が聞こえました。小児科でもう1度診察してもらってください。」と言われた。その日の夜は特に覇気がなく、食事もほとんど食べなかった。

これは仕事が忙しいと言っている場合ではないと思い、何とか休みを作って翌日近所の総合病院に行った。この日は台風で、片手でベビーカーを押しながらもう片方の手で傘をさして歩くと全身ずぶ濡れになってしまった。まさに踏んだり蹴ったりである。

さて、この総合病院は発熱していても事前予約なしに診てもらえるので時々お世話になっていた。特に不満はないが、診察はいつも流れ作業で非常に淡々としている。だけどこの日は違った。

「はい、こんにちは。今日はどうされましたか?」といういつもの質問に対して私がこれまでの病状を説明すると、「ではまずは胸を診ましょう。」とこれまたいつもの調子で聴診器をあててくれた。するとたちまち先生の顔つきが変わった。

「あれ?ちょっと、胸の音が本当に良くないよ。喘息みたいにヒューヒュー言ってる。パルスオキシメーター持ってきて!」

看護師さんがパルスオキシメーターで計測すると、娘の血中酸素濃度は94だった。正常値は96~99。先生曰く、健康な成人が全力で走ってもこんなに低くはならないらしい。

「どうしようお母さん。もう少し大きい病院に紹介するかしないかギリギリのところよ。どうしたいですか?」

このまま家に帰っても病状は良くならないと感じた私は「タクシーで行きますから、紹介状をお願いします」と言った。

なかなか捕まらないタクシーをなんとか捕まえてこの辺りで一番大きな総合病院に行った。院内は混雑しており、受付を終えるとそのまま1時間近く待たされた。お昼ご飯にうどんを作ってあげようと思ってお鍋に昆布を入れたまま出て来ちゃったな、夜のみそ汁に使おうかな…等と考えていたらようやく問診と検査が始まった。

検査は肺のレントゲンと採血。
レントゲンはアンパンマンの人形で看護師さんが緊張をほぐしてくれたせいか何ら問題なく終わった。採血は私は受付に残ったまま、娘だけ別室に連れていかれての検査だった。15分ほどすると爆泣きの娘が私のもとに帰ってきた。

そしてまたしばらく待機。娘は採血で泣きつかれて私のひざのうえで寝始めた。娘が寝始めて20分ほどすると看護師さんがすっ飛んできた。

「あの、娘ちゃん今寝てますか?実は先ほどの採血検査の際に指にパルスオキシメーターをつけておいたんです。寝てしまったせいかとても低くなっていて・・・」

ふと指先のパルスオキシメーターを見ると91になっていた。
え、うちの娘ってそんな酷い状態だったの???私は呆然とした。

「ここまで低い値ですと入院してしっかり酸素の管理をした方がいいです。入院しましょう。これから先生からさらに詳しいお話がありますのでお待ちください。」と言われた。

その後主治医と看護師が入れ替わり立ち替わりやってきて色んなことを説明してくれた。
•診断名は喘息性気管支炎
•コロナ、アデノ、インフル、溶連菌、ヒトメタニューモ、RSは陰性
•でも血液検査の結果を見るにおそらく何らかのウイルスには罹っていそう
そして、入院期間は1週間。思いの外長い。

ちなみに喘息性気管支炎は小児喘息とは違うらしい。そもそも2歳の子どもは気管支が未発達であるため、喘息の診断がおりることはあまりないとのこと。1番大きな違いは、喘息性気管支炎がウイルスに感染した時に喘息のような症状が出るのに対し、小児喘息はウイルス感染をしていない平常時にも喘息発作が起きることだ。だから、喘息性気管支炎と診断されたからといって、喘息持ちであるとは限らないという。

そして入院するにあたり、付き添い入院をするかしないかと聞かれた。
「付き添い入院って寝れないことはもちろん、ご飯や風呂すらまともにできないって言うよね…でもここは親として付き添いするべきだよね…どうしよう」と頭の中で逡巡していると、

「個室か大部屋か選べます。大部屋でいいですよね?個室ですと24時間の付き添いになります。大部屋だとお預かりという形になります。お母さん、お仕事されてるんでしょう?お仕事できなくなることを考えたら大部屋の方がよろしいかと思いますよ。」

と向こうから提案してくれた。正直とてもありがたく思ったが、あっけなく付き添いなしになることに一抹の不安を覚えた。

「では大部屋にします。でも大部屋でもどの親御さんも付きっきりで面会されてるんですよね?入院って初めてでよく分からなくて…。」

「面会時間は朝10時から夜9時と決まっています。面会時間に制限はありません。どれぐらい面会されるかは各家庭によって千差万別です。もちろん付きっきりの方もいらっしゃいますが、短い時間で面会される方もいらっしゃいます。きちんと着替えや食事、オムツ交換などもしっかりサポートさせていただきますので心配しなくて大丈夫ですよ。」

看護師さんの堂々とした話し方を見て、へぇ…きちんとお世話してもらえるのか、なら大丈夫かとすっかり安心してしまった。

入院に必要な書類一式にサインしている間、娘は看護師さんから処置を受けていた。腕には脱水予防の点滴、鼻に酸素チューブを付けられた娘は重病人そのものだった。
入院に必要な書類というのは単なる同意書だけではなく、娘の発達に関することや好きなおもちゃ、生活リズムといったありとあらゆることを病院側に共有するための質問票も書く必要があった。質問表はA4用紙5ページにもわたり、首座りが3ヶ月、ハイハイは7ヶ月、予防接種は何を受けていて…と母子手帳を見ながら書くのは結構疲れた。でも娘に少しでも快適な入院生活を送ってもらえるようできるだけ丁寧に書いた。
なんとか書類を書き終えると、ようやく娘を入院病棟へ案内してもらえることになった。だがこれも一筋縄ではいかない。というのも鼻の酸素チューブの先には娘の身長ほどある酸素ボンベがついていてとても1人では運べないのだ。看護師さんに協力してもらってどうにか2人がかりで部屋まで送り届けた。

これで病院でやることはひとまず終了。次は家から荷物を持ってこなければならない。娘にろくに声もかけぬもまま、着替え等の荷物を取りに自宅へ帰った。
朝8時半に家を出たのに、病院を出た頃には既に15時を回っていた。台風は過ぎ去り、濁った水たまりが道路のそこかしこにできていた。

自宅に着くと、在宅勤務をしていた夫が心配そうに出迎えてくれた。仕事を中抜けして荷物を一緒に運んでくれるという。孤独感が少し和らいだ。

とにかくお腹がペコペコだったので、まずは食器棚にあるシーフードヌードルをかきこんだ。食べて少しエネルギーが回復したので、クローゼットにある小さなスーツケースを取り出した。

旅行であっても荷物のパッキングは大嫌いなのに娘の入院のためにパッキングをするなんてこんなに憂鬱なことはない。しかも全部記名しなければならないので1つ1つ名前が入っているか確認しながら作業を進めた。

パッキングが終わってまたタクシーを呼び、病院へと向かった。このタクシー、禁煙車のシールを貼っているのにも関わらずシフトレバーの周りが運転手の吸い殻まみれだし、道には迷うしで散々だった。

病棟について荷物を持ってきたことを伝えると、「病室にそのまま置いておいてください、あとはやっておきますから」と言われた。
言われた通り荷物を置き、娘に「じゃあね」というと、娘は状況を飲み込めてないのかボーっとしていた。

入院生活はあと1週間もあるのだ。初日から無理するのはやめよう。後ろ髪を引かれる思いでこの日は帰路についた。

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