見出し画像

知らないで出会った話 #呑みながら書きました

呑んでいます、札幌エクストラドラフト。
だって呑み書きだから。

月見バーガーと一緒に。

うまい具合にwオットも飲みに出かけているので、心の贅沢。
何が贅沢って、準備も片付けもいらないゴハン。
そしてマックは好きだ。


この企画に参加する記事です。

今回もありがとうございます。
本当に楽しみにしています。

あ、もうビールとマックは終了して、今はこれ。

新潟、苗場のスパークリング日本酒。
日本酒は、ちょと危ないので今氷を入れて飲んでいる。

***

さて、今夏は今回は、タイトルに書いたようにす知らずにぶつかっちゃった話だ。
記事の着地が心配だけど書き進めてみよう。

せんt先日ゲル春と・リヒター おい ゲルハルトね、 の展覧会を見たくて、国立近代美術館niに行ったのです。

その絵はとても素晴らしくて、この記事とは別にまた家訓度書くのだけれど、そのチケットで別の展示も見られるということで、館所蔵の特別展(常設展のようなものだけどテーマ性があり期間も決められていた)に、欲張っていってみたのdす。

国立近代美術館、初めて行って、ゲルハルト・リヒターがしばしば、二回間違った。素晴らしすぎて、普段ならそういうのは見ないで帰ってくるのだけれど、今回はせっかくだからとエレベーターに乗り込みました。

4階から下がりながら展示を見る作戦。
まず、大きな屏風絵の前のだえもら誰もいないベンチで、リヒター展んで疲れた足を休め、よっこらせと角を曲がった時に

!!!
え?え?

キミはここにいたのか―

突然目の前に岸田劉生の「道」が飾られていたのdす。

画像はWikipediaから


知らんかった。
この絵はここにあったのか!
kimi 君ここにいたのか!と、絵に向かって個これで心で語りかけてしまった。
となりには麗子像(型変え肩掛けの赤いおべべのではなく、紺色の浴衣姿のやつ)
今、ほろ酔いなのに律義に画像を載せようと検索したら、もうタイトルが間違っていた。
「道路と土手と塀」というタイトルだった。

タイトルは見てこなかったけれど、カードの一番上に「重要文化財」と。
あと、「購入」とw。

こんなの心の準備もないままで合うもんじゃないのに、美術館の角を曲がったら宮に出会って、どうしていいか分からなかった。

隣には安井曾太郎の「金蓉」
教科書で見たことあるやじゅ。ああ、肝心なところで誤字る。見たことあるやつ。

これもWikipediaより
これも重文じゃ?

なんか、ガ―――ンて。
出会ったs69いいショックと、何がどこにあるのかも知らずに来ていたのだなぁという自分と、いろいろ。

でも、こういうのって初めての体験だった。
今まで、美術館に行くのも好きだし絵を見るのもスキだったけれど、こう、絵自体をたのしみにいくというおより、有名な絵を見るという体験をしに行く感じだったから。

心して、「さあ、あの名画を見に行くぞ」と構えていくのと違って、急にポンと目の前に出されると、むき出しの絵にそのまま対峙していまうというか。
きっとそっちの方が純粋な絵との向き合い方なのかも。

わっ、てなった。

でも、まだ知識が邪魔しているあかな。
「あの有名な絵だよ」と、後から理性が追いついてきちゃう。

それが、さらに下の階に降りた時に、岸田劉生ショックを上回る出来事が舞っていて、知識がないのは悪くないじゃんと思ってしまった。

ある部屋に入っていくと、こんな彫刻がおいてあったのdすよ。

なんか、大きくて、生々しくて、こう、生ぬるい体温みたいなのが伝わってきそうな柔らかいお手々があったのですね。

うわぁリアル、ブロンズなのにぷにぷに感と生ぬる感があって、今こんな手と触れ合いたくないわーとか思ったのです。
まだ暑かったしね。

だけど妙にその手が気になって、ぐるっと360℃まわっていくうちに、
「あれ?これって、もしかしてあの『手』?」
と、思う間もなく
この角度に到達したのです。

あわわわ
高村光太郎の「手」だったーーーー!

しかも、手のひらの方はなんかすんげーリアルで生々しかった――――!!

この角度だと、亜也なmあまり生々しくない
これを、もうちょい向かって右に回り込んで、正面から見ると、なんかすごいの


教科書で知る高村光太郎の「手」は、硬質で強い意志とか冷たさを感じさせるばかりだったし、実物の大きさが想像できてなかった。

けれど、展示室は敢えてなのか、その部屋に入る人に手のひらを向けて展示してある。

これも私が色々もの知らずなだけだと思うけど、パッと見てもあの有名な作品だとは気づかなかったし、全然違う印象だし、もっと言うと、手のひらの方は生々しすぎて割と引いた。

手の甲を見て、作品の正体に気づいて、もう一度手のひらに戻った時は、「なるほどー、高村光太郎の手って、こんなふうにおっきくてあったかくて、この手で名作を生み出していったのか―」といった理性に基づく感想も出てきたのだけれど、それとは別に最初いに見た時の生々しさが忘れられん。

あー、びっくりした。
生々しかった。
ちょっとドラクエのモンスターとしてありそう。


これほど、知らずに出会って衝撃、みたいな体験もそうそうないと思うのよ。私の中では。
「国立近代美術館」恐るべし。「国立」だもんなー。

あんなに何気に、有名な作品こっちにさらけ出しやがって。
すっかりやられちまったぜい。

という気分になったのだけれど、最近私、美術館で作品の横に表示されているタイトルとか解説とか読まないようになったのですね。

最初の方でも書いたけど、「有名な絵をみた」という▢に☑を入れるみたいになて、解説四で読んで満足的な美術館訪問が疲れるというか、好き放題に知識もなく絵だけ見ていいじゃん、という気持ちになってきているのです。

その点、私が感動したゲルハルト・リヒターの絵たちなんて、タイトルが「アブストラクト・ペインティング」とだけあって、今回は解説もなく、こっちに丸投げで、その潔さ、「どうとでも見てくれい」な感じがとてもよかったし、こっちも好き放題本当に絵だけと向き合えてすごくよかった。

大きな作品だった。
リヒターのはいくつも写真に撮ってきた。


抽象画恐るべし。
あ、その話は別に書くんだった。


とにかく、知識がないまま何気なく美術展とか行くって、想像以上にいいものでっすね。
〇〇のめいが、国宝が、どこそこに所蔵されているとかね。

spそんで、知識を仕入れないまま絵だけ見ようとwこれからもね。

東京って、住むところではないと思っているけれど、やっぱりいいなぁ。
身近に色々あってうらやましい。

国立近代美術館、ほとんどの作品が写真OKなのも太っ腹だった。
スマホにピカソの実物の画像を入れていると、ひそかに悦に入っている私でした。

ピカソ(本物w)
ピカソ(本物ww)


そうそう、「絵て  「手」の彫刻は、あまりに信じられなさ過ぎてちゃんと表示パネルを確認しにいったのdすが、書かれていたのが、あの「「手」のポーズをどうやったら実際に作れるかで、学術的な何かなんて一切書かれていなかったのも、超よかったです。
その解説は写真に撮ってくればよかったなw

あんまりてのふひらがショックだったのでk、自分の手と一緒に撮ってきた。
遠近感がアレだけど、彫刻はとても大きかった。
高村光太郎の手が大きくても、それよりも大きく作ってあった。
パネルの解説通りの手の格好もやってみたけど、それは撮影せずw


あーーー。スパークリングの日本酒、氷入れたらおいしかったー。
この後のご褒美はこれ↓

今日は好き放題、カロリー放題よ。あたぼうよ!



一応酔っていながらも、言いたいことはあったので、画像やリンクをつけてみたが、なんだか心配。
でも振り返らずにアップするぞ




***


後日付け加え。リヒター展の記事


お読みいただきありがとうございます。楽しんでいただけたなら嬉しいです😆サポート、本と猫に使えたらいいなぁ、と思っています。もしよければよろしくお願いします❗️