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そば食うんで

20歳で、初舞台に立った時だった。何も出来なくて、恥ずかしくて、声がでなくて、苦しくて。みんなはこんなにも堂々と上手にやっているのに、なんてヘッポコな野郎だと思った。今までに感じたことのない恥じらいと闘いながら、とにかく必死に目一杯叫ぶことしか出来なかった。でも、千秋楽のラストほんの10数秒だけ、本当にわずかな瞬間だけ、僕は不思議な体験をした。
ヤクザの兄貴とその兄貴を殺さなくてはいけない子分、というシーン。僕は子分役だ。ドスを構え兄貴との最後の会話をしている時にそれは起こった。僕の視界が突如として真っ暗闇に覆われ、一瞬何にも見えなくなったのだ。なんだこれ、やばいぞと思ったら、今度は兄貴と自分にだけにピンスポットがあてられた。舞台上には兄貴と子分の他にも10人ほどの役者がいて、実際の照明はステージ全体を照らしていたのだが、僕の目には兄貴と自分だけしか写っていなかった。他の役者の顔も、お客さんの呼吸もそこにはなく、兄貴だけが鮮明だった。泣いてやろうなんか思ってないのに、勝手に涙が溢れ出し、勝手にセリフが口から出て、勝手に身体が動いていた。

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292字

2018~2022年までtumblrに掲載されていたアーカイブ記事と未公開記事をまとめたエッセイ集。

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