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「ハイウェイ・ホーク」第二章 運命(5/7)【創作大賞2024ミステリー小説部門】

 安井はアパートに帰宅すると、いつも通り夜の十時ごろに就寝した。明け方の四時頃に安井の携帯電話が突然鳴った。電話の主が中野だとわかると、安井は夢見心地のまま電話に応対した。
「夜中の一時におれたちの張った規制内で事故が発生したって連絡があった」
 深く沈んだ声だった。
「それで怪我人はいなかったんですか」
「渡辺が死んだ」
「はぁ、今何ておっしゃいました?」
「渡辺がはねられてすぐに現場から救急車で病院に運ばれたが、到着してすぐに息を引き取った。今、病院から電話をしている」
 安井は言葉を失った。寝起きの状態でそんな話をすんなり受け入れることなどできるはずがない。しかし中野が放った言葉がはっきり脳裏に残っている。何も考えられないのにそのフレーズだけが、頭の中に鮮明に刻み込まれている。正気を取り戻そうと、あれこれ考えようと、何かを思い出そうとするが、そのフレーズが何もかもを邪魔する。
「いや、何言ってるんですか。それってどこの渡辺ですか」
 やっとのことで言葉を絞り出した。自分でも何を言っているのか分からなかった。
「渡辺直哉だ。我が社の社員で君の部下の渡辺だ」

「いや、いや、いや、何言ってるんですか。昨日の夕方までいっしょに仕事してたんですよ。なんで死ぬんですか・・・」
「公団のやつらが抜き打ちでパトロールに来たらしい。事前に連絡があって、渡辺らが規制内に誘導しようとしたらしいんだが、後ろから煽ってきた車が、テーパーから強引に追い越しをかけてきて、そのままハンドル操作を誤って規制内に突っ込んで来たらしい。たぶん公団の奴ら規制に入ることなんて滅多にないから、素人同然のドライバーが後方の車に何の注意も払わないで、急にスピードを落とし過ぎたんだろうな」
 中野の説明など以前からわかりきっていることで、今ここで聞くような話ではなかった。
 電話を切った後、安井にはしーんという音が聞こえるだけで、何も考えることができなかった。一体何分、何十分この状態を続けていたのだろうか。やっとの思いで取った行動は、野村に連絡することだった。野村の携帯番号は指先が覚えている。携帯電話の呼び鈴が鳴ってすぐに野村が出た。
「ノムさん・・・」
 安井はそれから言葉が出ない。
「安さんかぁ、そろそろ電話がかかって来る頃やと思ってたわ」
 野村が暗い声で答えた。
「ノムさん、今どこですか」
「今、車で支店に向かってるところや。家におっても何の情報も入って来おへんからな。安さんも支店に来えへんか。そこにおっても気が滅入るだけやで」
「わかりました」
 安井は力なく答えた。
 やはりこんな時でも野村は頼りになった。どうしていい分からない状況で、やるべきことを示してくれる。

 安井が大阪支店に着くと、野村がぽつんと自分の机に座っていた。どこで買ってきたのか缶ビールを片手に持っていた。
「おぉ、安さん。木村に続いて、これで二人目や。あんな思いは二度としとうなかったのに。今頃、渡辺の嫁はん、病院で大泣きしとるやろな」
 木村と言うのは、十年前に事故で亡くなった野村の元部下の名前である。
「わしらの仕事って、若いやつらに決して前途あるなんて言われへん。そやけど一生懸命働きよんねん。将来、大金なんかもらえるはずもないのに、世間から認めてもらえることもないのに、くそ暑い時も、くそ寒い時も、空気の悪い排ガスだらけな道路の上で、命かけて仕事しよる。それを見てるのがいつも辛かったわ。あいつらなんであんなに頑張れんねやろな、安さん。わしが現場離れられへんかったのも、もう若い奴に死んでほしなかったからなんや。守ってやるってほど、大それたもんとちゃうんやけどな、別にわし一人もんやから、代わりに死んでやってもよかったんやで。なんもわしがおらん現場で死なんでもよかったやろうに。あのボケは何をしとんのや」
 野村がこのようなことを言うのは極めて珍しい。
 安井と野村はたった三年の付き合いだが、お互いのことを知り尽くしていた。いや、常に死と隣り合わせの環境で作業をしているから、互いに信頼していなければ仕事にならない。安井は野村に何度も危ないところを助けられたことがある。信頼しない方がおかしい。それは品川たちにも言えることだった。
 だから安井には野村の心の痛みがよくわかった。それと同時に渡辺を失った悲しみのうち、一割か二割か正確な割合などわかる訳はないが、野村への同情に変り、その悲しみがほんの少し薄れたように感じた。これも野村流の優しさなのだろうか。
 しばらく二人は黙ったままだった。黙っていると人懐っこい渡辺のことが次から次へと思い出された。

 渡辺が死んだ翌日の夜に通夜が、その翌日に告別式が行われた。安井をはじめ当日に業務がない大阪支店の社員は全て参列した。と言うか、このような日でも彼らは業務を止めることができないのである。安井は渡辺の結婚式以来、久しぶりの渡辺の妻、明日香との再会であった。笑顔の似合う娘だったという印象が残っていたが、こんな形で再会するなど、夢にも思っていなかった。生後六ケ月の長男、武蔵は彼女の両親が面倒を見ているのか葬儀場には見当たらなかった。
「明日香ちゃん、目が腫れてますね」
 喪服姿の川口が独り言のようにつぶやいた。
「涙なんか、もう出し尽くしてしもて、出てこおへんのとちゃうか」
 野村の言うことに、安井たちは皆納せざるを得なかった。

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