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多職種連携の軌跡は奇跡!②

往診を武器にしていきたいと思いつつも、なかなか思うようにはいかないウチの歯科医院。
往診依頼は開業して5年経っても片手で数えられる程。頭でっかちの状態は更に続き、かなりバランスが悪い状態。まだまだ悶々とした日々は続く。

在宅ケアという言葉が出てきて・・・

2008年、在宅ケアを考える会(所在地バレを防ぐため、ちょこっと名称は変えました)なるものが発足。第1回目に参加した。
第1回目の記録が残っていなかったが翌年の2回目、ウチは報告書を書き、歯科医師会に提出したのが、アーカイブに残っていた。(塗りつぶしや赤線は今回加筆したもの)

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今回この連載を書くにあたり、歯科医師会のホームページ(会員専用)を見返してみた。正直これを書いたことすら覚えていなかったのだが、今改めて読み直すと10年後にはここに書いてあることが何となく出来ているもんで、がむしゃらでも何でもやり続けることに意義があると改めて感じた。

その当時は頭でっかちでも何でもいいので、とにかくいろんなところに顔を出そうと躍起になってた記憶がある。それが自分の歯科医院の宣伝効果になるかも知れないと信じてましたから。

余談だが当院は宣伝広告費は非常に少ない。街角に看板出してないし電話帳広告もしてない。出すのは地元のお祭りの名刺広告ぐらいだ。あれは協賛金集めの目的もありますので。

1つの大きな転機:退院時カンファレンスに出席したこと

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2010年10月頃、退院時カンファレンスのモデル事業が地元大学と歯科医師会とのコラボで実現。大学は学生の見学の場に、歯科医師会は退院時共同指導料の算定と会員のスキルアップに。両者の思惑が一致した事業だった。(ちなみにこの事業は2020年現在も続いている)
そのモデル事業が行われる病院はなんとウチの診療所のわりと近く!これは乗り遅れてはならない!ってことで事業参加に手を挙げた。それから間もなく、退院時カンファレンスデビューを果たした。

退院時カンファレンスデビュー戦は、何を聞いたら良いかなど全くわからず緊張しっぱなしだった記憶がある。しかしその大学の教授も同席して頂き何とか質問のツボのようなものをアシストして頂いたことを今でも覚えている。具体的には口腔ケア時に座位の保持は可能かとか、そんなレベルだったと記憶している。「座位」とか「ギャッチアップ」などの用語がポンポン出てきて慌てて覚えたのもこの頃からで、言ってみれば英語もろくに喋れないのにアメリカの一般家庭に放り込まれたような感覚とも似ていた。
結局こういったものは経験値を上げていくしかないんだと感じた。

もちろんその後は訪問歯科診療や訪問口腔ケアにつながるため、訪問診療の患者が増えることになる。
開業して6年、ようやく転機が訪れたといったところである。

次回予告

それから3年後、医科歯科連携から多職種連携へと変わる大きな転機が訪れます。

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