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いつかのサマーチャンピオン~茅原実里、13年間の河口湖サマーライブを終えて~

茅原実里の河口湖Final Summer Liveを見届けた。
自分にとっては、13年間参加し続けたライブだった。B'zファンだった私は、2009年「SUMMER CAMP 1」の2日目「BLOWIN'」のカバーを聞き逃したことを猛烈に悔やみ、そこから全日参加するようになった。その2009年は私が社会人になった年で、ずっと会社指定のお盆休みがない会社を渡り歩いてきたから、私にとっての夏休みは、すべてが茅原実里だった。
カレンダーを買う時に、毎年8月第一週のことを考えていた。

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画像は2017年。

定時運行の呪縛

あらためて思うのだが、河口湖ライブは、年単位のルーティーンだったのだ。いつも、春頃になると情報が来ないかとワクワクして、茅原実里のイベントがあるたびに、その発表を期待する。「前職のプロレス業界で知ったけど、武道館は一年前から予約するんだって。だとしたら、河口湖ステラシアターだって同じだよな。だったらずっと前から内々では決まっているけど、情報解禁は来年の春頃だよな……」なんて。
みのりんは秋~冬にアルバムを出して、それをひっさげて冬~春にライブをやり、8月第一週に河口湖でライブをやって、それ以外はアニサマやリスアニ!などのフェスにちらほら出たり、単発ライブをやる。誕生日の11月18日は要チェック。シングルは定期的に出してくれて、タイアップがついていたりする。春から秋の間は声優としての活動が多いかな……。
こんなことを漠然と思っていた。それは暗黙のバイオリズムであり、月が地球を回るように、8月第一週を中心に、茅原実里は定時運行をしていくものだと思っていた
画像は2011年。

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たとえば、こんな感じだ。

ライブ当日の朝は、いつもよく眠れない。土曜日に桜木町から横浜線直通列車に乗り、八王子から高尾、高尾から大月と乗り換える。大月で「みのり編成」の列車を待ち、河口湖へ。これがいつものルーティーンだった。高尾駅を出てからは、森と山と谷がめまぐるしく入れ替わる風景。ふるさとの北海道の高速道路で何度も見た、左右に広がる果てしない森と山を思い出しながら、ときおり手元の本へ、ときおり向こうの景色へ、視線が行き来する。ヘッドホンで聴くのは、戦いを想起させるメロディックスピードメタル。携帯の電波はちっとも入らず、ただただ静かに「ライブ前」の空間を楽しむのが常だった。
富士急行の「みのり編成」では、不思議と知り合いによく会う。隣に座ってからはたと気づいたこともあったし、席がなくて立っているメタラーにTwitter経由で声をかけたりもした。まあ、河口湖駅に着けばみのりんが出迎えてくれることをわかっているなら、そりゃ知り合いも集まるわけだよな。みんなに声をかけたりはしていないけど、たぶん乗客の七割くらいは、毎年同じ列車に乗ってるよな。これこそVoyager Trainだよな……。
毎年そんなことを思っていた。

河口湖駅で茅原実里さんが迎えてくれる。数時間後にはステージの向こうに立つヒロインが、人間としてそこに立っている。それから等身大パネルにサインを書いて、記念撮影。一番近くにいるスタッフさんはいつもの人だ。あの人がいるということは、そこにみのりんがやってくるという暗黙のマーカーだった。
それから駅で1リットルのミネラルウォーターを買って、100円玉を多めに増やしてから、荷物をロッカーに預けて、シャトルバスに並び、乗る。河口湖の道はとにかく狭くて、どの交差点でもバスは鋭く曲がる。対向車線の車もそれを前提にして、交差点のだいぶ後ろに控えている。バスは森の中へ入り、絵に描いたような一本道を抜けてゆく。時折、あのライブTを着た人が会場に向かっているのがわかる。ブザーが鳴って扉が開くと、かすかにCDの歌声と、シンバルやスネアのサウンドチェックの音が鳴っている。痛いほど熱いアスファルトを渡って、数段の階段を上り、左を向けば、大きな会場と、中くらいのテントと、懐かしさを覚える出店。そして、床やイスに座り、何か神聖なものを待ち受ける信徒たち。自分も数分後にはこの群れの中に入る。ハンドルネームしか知らない数十人のフォロワーと、それ以上に、そこかしこで何度も会っているはずだが面識のない、無数のファンとで構成された共同体の中に。

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画像は2017年。ここまで書いていてふと思った。このライブは巡礼なのかもしれない。

Crazy Night

ライブが終わって、外でたむろしていると、大体メタラーも同じことをしている。マノウォーサインやメロイックサインを掲げて挨拶して、感想を語らう。あのギターソロがよかった、ケニーのコーラスが、インストの元ネタは「宇宙かけ」のあの曲で……なんて。

いつのまにか、メタラー仲間で旅館を借りるようになっていた。ライブが終わったら車に乗せてもらって宿をチェックイン。車を宿に置いてコンビニまで買い出しに行き、食べ物と酒を買い込み、街灯のない道を歩く。ときおり車とすれ違って、車道の端に寄ったりしながら、ライブの思い出と、世界のメタルバンドの動向を話す。戻った頃には離れの浴場が空いていて、どこかせわしげに入浴を済ませたら、エアコンのない部屋の窓を開け、冷蔵庫もないためにわずかに溶け始めたコンビニの氷を慌てて開封してから、過剰な乾杯の声をあげる。

今からやぞ!!!
写真を撮りながらツイートする。3人で飲むから、ビックリマークは3個だ。(画像は2017年の打ち上げ)

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私はBluetoothのスピーカーを持ってきた。おのおのが宿題として持ち寄った、聴かせ合いたいメタルのセットリストを1時間ずつ披露し合う。楽曲の話、アモット兄弟の話、セットリストの中に差し込んだ茅原実里楽曲がメタルである所以、そんなことを果てしなく語っていると、時計とTwitterのタイムラインは、徐々に静まってゆく。だいたい最後のパートになると、瞬間的に思いついた推し楽曲を自分のスマホで流す、即興DJ大会になだれ込むのが常だ。
確か2019年は、GloryhammerのPVを流していたなあ。Napalm RecordsのPVはいつもこうだ!と大爆笑していたのをよく覚えている。

その日のライブで、新曲「エイミー」のPVがYoutubeで公開されたよ! と発表されたにもかかわらず、私たちはメタルに夢中だった。別宿のメタラーたちと合流した時にも、誰も見ていなかったのは笑った。もうちょっとみのりん聴こうぜ(反省)
またある年は、朝からX JAPANのSTANDING SEXを流して爆笑していた記憶がある。もう毎年ろくでもないことしかしていない。

でもメタラーには共通認識がある。私たちは茅原実里に醒めているのではなく、メタルとして茅原実里を浴び、メタルとしておのおのの好きな楽曲を交換し、メタルに対する認識と知識と情熱を深める。河口湖サマーライブは、大好きな音楽をたくさん集めた、俺たちのメタルフェスだったのだ。

※追記: 2018年にメタラーで作ったセットリストを公開しました

今年はこんなサマチャンではなかった。

ここ数年泊まっていた定宿に泊まろうと電話をかけると、営業休止。慌てて楽天トラベルから仮で押さえた三人部屋は、感染の状況を踏まえてキャンセルし、個々に泊まることになった。
茅原実里の河口湖ライブでひとり宿泊するのは、五年ぶりくらいだろうか。もっとも、2020年にサマチャンが無観客になったあと、8月末にふらっと河口湖で連泊していたし、茅原実里の音楽活動休止が決まった直後に傷心旅行で河口湖突撃したこともあった。そもそもここ数ヶ月は、満員電車を避けるために都内のホテルに泊まる習慣を作っていた。ひとりで泊まることには慣れていたはず。
それで、余裕こいて、宿を選んだ。ステラシアターのある道をさらに進んだところにある新築ホテル。金曜日から前泊、月曜日も泊まって火曜日にチェックアウト、4泊5日の余裕を持った日程にした。さらに、チェックアウト後に東京に戻り、夕方に職域接種の二回目を済ませるという完璧なスケジュールを組んだ。

これが完璧に作用した。ただし不思議な方向に。

金曜日~孤独のRunaway

2021年のサマチャンでは、はじめての金曜入りを試みた。
噂には聞いていた。ミノラーと遭遇することはまだ少ないが、みのりんとばったり会ったり、ガチリハーサルが聴けたりするという。時間ならたっぷりあるから、行きたかったお店にも行けるだろう。宿泊数が多いだけに荷物がちょっと不安だし、ずっとリモートワークで体力が不安だけど……。
到着時刻を焦らずに移動して、朝の九時から桜木町駅へ。普段なら京浜東北線に乗るところを、横浜線直通列車に乗る。少しの間立って、すぐに席が空いたので座り、八王子までそのまま乗りっぱなし。いつも思うのだが、車窓の向こうは予想外に自然多めで、同じ横浜といいながら、自分が暮らしている世界がいかに小さいものか明らかになってしまう。稲葉浩志に憧れて横浜国大を選んだ時からもう15年以上になるのに、横浜といえば上星川、和田町、常盤台、三ツ沢、横浜、桜木町、関内、伊勢佐木町。本当に生活圏が狭すぎる。旅行といえばライブか帰省ばかりで、家にいて本を読んでいれば満足、そんな暮らしをずっと送っていた。
河口湖という距離は絶妙に近く、絶妙に遠かった。電車を乗り継いでいればらくらく行けるのに、電車を離れて街を歩けば、そこはひんやりとした空気の漂う異世界。
この距離感が好きだった。

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画像は2014年。

高尾からは極端に人が減る。特にこんなご時世では。相模湖でさらにごっそり降りてゆき、そこからはとても静かだった。当然ながら、金曜日にフル装備で大月にいるミノラーなんて見かけなかった。
乗り継ぎの列車はバンドリ編成。そういえば毎年乗っていた「みのり編成」は、この列車にヘッドマークをつけ、中吊り広告を全部茅原実里に入れ替えた適度なもの。それに対してこっちは、公式イラストのたっぷり入った、いい感じに気合いを入れたラッピング。ここ数年のコニファーフォレストのライブと、富士急ハイランドのコラボといい、いやはや、富士急さんはいい提携先を見つけたものですね。

いざ河口湖にやってきたはいいが、特にプランというものはなかった。ただ、自分の体力が不安だったので、できる限り省コストで行こうとは決めていた。
今年四月に河口湖入りした時は、駅前のほうとう不動が休業していた。だからほうとうは食べておきたい。金曜日の天気は良好だが、河口湖駅からベルを超え、ステラシアターの向こうにあるホテルまで歩き通すのは無理だろう。……と、ここまで考えて、とりあえず、ほうとう不動で昼食をとり、青いバスに乗り込み、河口湖畔へ向かい、クソ暑い中、なぜかホットコーヒーを買っていた。この自分の行動には今でも違和感感じまくりだが、河口湖に着いてからホテルのチェックインまで時間を稼ぎつつ、省エネルギーで行動しようとすると、こうするしかなかったのだ。
感染対策からか、15分間隔で運行していた周遊バスも、一時間に一本になってしまった。湖畔から駅までは多少歩くが、歩くよりはバスに乗った方がいい。そしてベルに向かう周遊バスは15時発で、思ったよりも時間が少ない。翌日のライブを前にして体力を浪費するのも怖い……。実に窮屈な選択だったが、コーヒーを抱えてベンチを探し回る頃には、そういう時間の「無駄な」使い方こそ人生だな、と納得できるようになっていた。人生だって「何もしない」ことをする必要があるんだ。非日常を過ごす時こそ、そうしてリフレッシュしないといけない。
空はピーカンに明るく、それでいて蒸し暑さは弱い。汗は流れるが、息苦しさはない。まさに河口湖の夏だった。
画像は今年のもの。

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予定通りにバスをつかまえ、ベルで降り、まっすぐ続く「みのりんロード」を歩く。昼間にトランクをガラガラさせながら歩くのは久しぶりだった。ところどころにみのりんのポスターがあり、道の先にはあの会場と富士山。
ファミマでみのりんへの寄せ書きを書き、例のグリーンダカラを買って、あらためて寄せ書きを見回してから、さあもう一度歩くかと思ったら、茅原実里の撮影スタッフがやってきた! そっと店を出て一息つくと、今度は見覚えのある車に乗ってメタラーがやってきた!ホント何なんだこの極端な遭遇率。一切アポなんてしてないし、今日は誰もミノラーに会わないと思っていたのに驚いた。
それから車に乗せてもらって、ステラシアターに立ち寄り、ホテルまで送ってもらった。

ホテルは想像以上だった。ツインベッドでエアコンもアメニティもそろっているのは把握済みだったが、まさかの二部屋独占だった! なんでも、コロナ対策と環境保護のために、三日までは掃除しないとのこと。しかし私が四泊するものだから、掃除しないわけにもいかない。だったらもう一部屋確保しよう、ということだった。
これは実にありがたい。感染対策で長くホテルにいることを考えていたため、必然的にベッドを使う機会も多くなる。四泊でツインベッドなら、一泊ごとにベッドを変えられるのだ!
設備もなかなか面白かった。水回りは全部中国メーカーっぽかったし、部屋の電話は完全に中国語仕様。紅茶のティーバッグがふたつ置いてある。たぶんこのホテル、中国人観光客を狙って建てたんだろう。観光バスでルートを回る分には交通の便も関係ないし、どれだけ騒いでも問題にはならない。土地も安かったはず。特に水回りは一式大量発注したんだろうな。安かったはずだ。同時に、ここまで設備投資してもオープンが2019年では、全然客も来ず、運営も大変だったんだろうなあ……と思った。

しかしもう一つの想像以上があった。
Googleマップで見る限りでは、ホテルからステラシアターまでの道のりは、ステラシアターからファミマまでの道のりと同じくらいだった。確かに歩数としても距離としても、それは正しかったかもしれないが、その距離感を全然認識できていなかったのだ。
想像以上に、このホテルは街から遠すぎた。ベル周辺で食事をして帰る道のりは往復40分。ステラシアターまで10分、ステラシアターから10分でこれだ。コンビニで食料を買いそろえても、そこから20分歩くことになり、アイスも氷も溶けてしまうことだろう。少なくとも気軽に買い出しをするわけにはいかず、感染予防まで考えると、ほぼ一日の生活物資を買い込む必要が生じた。

それでも意を決して外出したのは、お腹がすいたから。それに翌日からは台風がやってくるので、最悪の場合の食糧を確保しなければいけない。宿を取った時点の自分はここまで追い込まれるとは思ってもみなかった。
森の向こうにわずかにゴルフコースが見える。車道の脇には小石がたくさん転がっている。まっすぐの道を、車が数台走り抜けてゆく。こんなところに人間が歩いているとは思うまい。
北海道の片田舎で生まれた自分が、道外でこんな気持ちになるとは信じられなかった。なんだかんだで北海道の道は、視野が開け、歩道もしっかりついていて、少なくとも街灯はちらほらあった。ところが、日本一の山を誇る富士山麓の道には、なにもない。いろんな意味で河口湖をナメていた

そんな中、はるか向こうでバスドラが響いていた。ステラシアターの裏ということは、音が聞こえないはずはないのだ。文明の方へ進むたび、その音は強くなり、オルガンやギターがかすかに混ざるようになった。とんでもないところでライブをしているんだな、それでもこれが最後なんだなと、切なくなった。

ファミマでいろいろ買い込んで戻ってきた頃でも、空はまだ明るかった。いつも河口湖の夏はこんな感じだ。自分の思っている時間と見える景色がズレる。「We Are CMB!!」の演奏とポリリズムを右耳の方で聴きながら、たぶん私以外にはひとりも泊まっていない(と思っていた)ホテルへ歩いて行く。今思えばリハーサルを聞き込んでおくのもいい経験だったかもしれないが、ネタバレは思った以上に心に刺さるのだから、あえて知らずにおこうと決めたのだった。
画像は2013年。

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土曜日~雨、雨、雨~

朝からひたすら雨。ミスサンシャインとはいったい何だったのかと思うレベルの雨。

昨日の時点で周辺の距離感を把握していたため、天気と感染予防を考えると、「雨の少ない時間に外出する」戦略に決めていた。以前茅原実里さんのプロデューサー、斎藤さんが言っていたとおり、Yahoo! の雨雲レーダーは救世主。この日ほど雨雲レーダーのありがたさを感じた日はなかった。

だが同時にヤバいことに気づいてしまう。このホテル、電波が恐ろしく悪いのだった。
もともと河口湖ステラシアターはauの電波が悪い。スマホになっても4Gになってもそれは変わらず、2020年のニコ生配信では数々のミノラーを絶望させていた。それよりさらに奥地に進むのだから当然のことだが、雨が強くなるごとに、iPhoneのアンテナ表記が1本から0本へ、0本から「圏外」表記へと落ちてゆく。
こんな状況を救ってくれたのは、部屋に入っているホテルの無線LANだった。ところがそれすら崩壊してゆく。午前中は非常に順調に流れていたのが、11時頃に突然停止。どうやらメンテナンスのためか、インターネットに接続できなくなったのだった。

結果として、Twitterのタイムラインを求めて、窓際でスマホを振り回すアラサーが誕生してしまった。2021年にこんな光景が発生するとは思わなかったぞ。さすが河口湖だ。

雨雲レーダーとライブスケジュールをにらんで、動き出すと決めた時間は15:00。それを決めて外に出てみたら、この段階では雨も小降り。会場は想像以上に人が少なかった気がした。いつもの河口湖だが、桃やフランクフルトの出店はなく、グッズ売り場も異様に静か。
メタラーに会って話していると、急に猛烈な雨が降り出した! ミノラーは会場の屋根に逃げ込む。私はギリギリ雨を避けられる階段の下へ。ここまで激しい雨が降ると、どうしてもサマキャン3のことを思い出してしまう。確かあれは開場直前だったっけ。河口湖ステラシアターに13年通い続けた経験値はこういうところで出てくるんだなと思った。
一方で変わったところもあった。人々がマスクをしているのは当然だが、みんな傘を差している。ライブで並ぶ時には傘NGだったんじゃなかったっけ……と、ふとよぎる。会場の屋根が完全に整備される前のサマキャン2とかでは、2A・2Gに雨が吹き込んでいるのに傘も使えず、カッパを買いに行ったミノラーがちらほらいたんだった。
雨が上がって入場も進んできた頃にほかのメタラーもやってきた。だいたいメタルT着てて笑う。
この日は写真をいろいろ撮った。もしものことがあった時のための遺影にもなるかも知れないと本気で思っていたし、やはり数年ぶりの遭遇でもあったから。

ライブの話は、ここではあまりできない。
とにかく楽しかった、しか浮かばない。2Bのギター寄りの座席で、スペースに余裕があったために心地よくヘドバンしていた。
画像は今年のもの。

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終演後はメタラーでコンビニに寄って、自分用の食べ物を買い込んだ。もちろん本当は、こういうときこそお酒を飲んでメタルを聴いて……とやりたかったが、そんなことはできるはずがなく、飲食店に行ったところで、どうせミノラーが大勢やってきて騒ぐだろう……と思ったためだ。自分たちはしっかりしていても、しっかりしていたから大丈夫というわけではない。感染症は人格に関係なくうつるものだ。
それから最後に、宿まで車で送ってもらった。ちょっとした情けなさを抱えながら。

いまさら、変化した自分に気づく

「宿に車で送ってもらう」ということに、実は思うことがあった。ホテルを選んだのは自分で、ある程度覚悟をして乗り込んだはずなのに、結局最終的には、車を持っている人に頼ってしまうのだった。
勝手な罪悪感がわずかに溢れていた。
かつての自分なら、たぶん徒歩でいつものファミマに向かい、たとえ道が真っ暗だろうが歩いて帰っていたはずだ。タクシーを呼ぶこともせず、ただただ力づくで進んでいたことだろう。
いや、そもそも前泊さえ選んでいなかったはずだ。当日に参加して、荷物を河口湖のロッカーか、駅前のお土産屋に預けていたはずだ。ライブが終わったらすぐシャトルバスに乗り、荷物を取り戻してからホテルまで歩き、チェックインしてようやく一息ついていたはずだ。昔はずっとルートイン河口湖に泊まっていて、翌日は周遊バスで河口湖駅まで戻り、そこからシャトルバスでステラシアターへ向かっていたはずだ。

以前選んでいたルーティーンを、いつかの時点で捨てていた。そしてその中で、ライブを楽しむだけのスタイルから、ライブを含めた全体を楽しむスタイルに変えていたのだ。
それは無意識のことだったと思う。ホテルが取れないとか、そういう制約の中で発生した現象かもしれない。しかし自分が過去の決断でルートを変えて、今の自分が存在しているのは、紛れもない事実だった。

……本当はこの記録を、「あえて過去の無謀なスタイルに再チャレンジしてみた」記録として残したかったのが、こう書き進めているうちに、実はそうではなく、「変化している自分を肯定しつつ、河口湖の思い出を刻み込む」イベントだったんだなと思い至る。

日曜日~最後のステラシアター、そして2040年へ~

日曜日もまた雨雲レーダーとにらめっこだったが、みのりんの前の事務所・リンクアーツ時代の後輩に当たる安東心さんがツイキャス配信やっていたりしたので、昼間はだいぶ暇が潰れた感じ。タイミングを見て14:00頃に外出。外出してから飲み物を買い忘れたことに気づいたので、ファミマを回ってからステラシアター入り。

二日目になるとほとんどのミノラーが、二年ぶりのライブのペースをおのおのに掴んでいたように思う。スペースは適度に空けながらも、会話は弾む。そんな中でも面白い出会いがちらほらあった。
まず、俊龍警察。実は前日に車を出してもらう際、彼が蛍光のサマチャンTシャツで全身全霊を賭けて駐車場の交通整理をやっていたのを、よく見ている。とりあえず彼にはTJ KENのCDを貸したので、また別の機会に返してください(業務連絡)
画像は今年のもの。ハーマンはイケメン。

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そして、ボドゲアイドル? の珠洲ノらめるさん。この人はものすごいアクティブで、2020年頃には何回かイベントにも参加させてもらった。初日に推し曲「Plumeria」が聴けてウキウキだったことでしょう。浴衣姿が美しかったです。
だが一番の驚きが、オタク業界の伝説、和田氏。まさかこんなところで出会えるとは思わず、つい写真撮ってもらった。

本当は、感染対策が徹底されていれば、また自分でもそれを本気で恐れていれば、こういう出会いはなかったのではないかと思う。
何もかもがいつものまま、13年間感じていた当たり前の空気が、そこに流れていた。これはどうしようもない事実で、13年居続けたファンはどうしても集まってしまったわけだ。
これは人間の弱さである。哲学的に考えるなら、その弱さは人間固有の強さともいえよう。だが心理学的にも疫学的にも、やっぱりダメだったんじゃないかなと今となって振り返る。

まあともかく、ライブは最高だった。しかし終演後にひとつ気づいたことがあった。
開演前の盛り上がりに比べて、終演後があまりにも静かすぎた。シャトルバスに乗らずに車に向かうミノラーはみな無口で、さっきまで体験した音楽の渦と、いつもどおりに河口湖に響き渡る静寂とに挟まれて、感覚が麻痺してしまったかのようだった。
それぞれに思うところがある。感染対策のせいばかりではない。ただ、私はそういうことを受け入れられずに、一緒に車に向かうメタラーにつぶやいた。

「みのりん、2040年くらいに復帰しないかな?」

Helloweenのマイケル・キスクは29年ぶりに、カイ・ハンセンは33年ぶりに復活した。X JAPANも、10年経って復活した。待っていればいつか復帰すると、そう期待したっていいだろう。それは本心だ。
同時に、2040年になれば茅原実里も還暦間近。これは面白い。どんなパフォーマンスをしてくれるか、想像したっていいだろう。
そんなバカ話がハッシュタグになった。今からでもちょっと笑ってもらえれば幸いだ。

https://twitter.com/search?q=%23サマチャン2040にありがちなこと&src=typed_query&f=live

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画像は2019年。

月曜日~余韻と孤独~

月曜日もまた雨だった。土曜日も日曜日も、ライブが始まると雲がなくなる、まさに奇跡のような天候だったが、やはり午前はこうなるのだ。
雨の隙間を狙ってステラシアターへ向かうと、そこにはひとりの女性を囲って人だかりが。「え、みのりんが!?」と思って駆け足で近づいてみると、ステラシアターの野沢さんと、ゆりゆりさん(一般のミノラーさん)。あまりにもみのりんに似てるので本気で焦る。

吹奏楽の練習の合間に、ステラシアターに入れていただいた。入館シートを書いて消毒の上、客席に入る。
無料でライブ会場に入れてもらえることもレアなのだが、河口湖ステラシアターというオンリーワンの会場に、何の目的もなくたたずむことができるのもレアだ。
この会場はすり鉢状の座席構成で、アーティストとの距離が非常に近い。いつものライブであれば客席通路にみのりんが入ってきて、四方をサイリウムに囲まれながら歌う奇跡的光景が見られるものだが、さすがに今年は実現できなかった。それに、ライブ当日の昼間のサウンドチェックからの公開リハーサルも恒例だった。外に張り出した階段にみのりんやバンドメンバーが出てきて、ライブとはまた違う距離で旗を振り、ジャンプし、熱狂する。この状況下でやれなかったことは多々あるが、アーティスト側で一番悔やんでいるのはこれだろう。
それでも、私たちが今年できなかった数々のことを思い起こせば、茅原実里はやりきってくれたのだ
河口湖ステラシアターは町営施設で、当然ながら自治体の影響を大きく受ける。直前に中止になることすら考えられたはずだが、一緒にやりきってくれた。月並みな言葉だが、まさに感謝しかない。リスクを負ってイベントを遂行するのは、民間でもなかなかできることではない。
画像は今年のもの。アメリカのメタルバンドのギタリストっぽい。ジャンルはパワーメタルかスラッシュメタルかな。

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それからまた雨が降り続いた。ホテルに帰り、次はいつごろ出られるかを考えた。実は、居酒屋酔けんに行きたかったのだ。金曜日は予約でいっぱいのため行けなかったので、ライブ目当ての人がいなくなったタイミングを見計らっていた。
結局ギリギリだったが、どうにかお店で食べることができた。相席になった暇人さんと、みのりんの話をたくさんした。どこか別の記事で、その話を深掘りしたいと思う。
画像は今年のもの。

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お酒を飲まずに酔けんさんを出ると、外は真っ暗。ホテルへ続くあの道を、はじめて夜に、ひとりで帰って行った。
そのときに感じた孤独は一生忘れられないだろう。

反対側には五人くらいの若者がゆっくり歩いている。おそらくどこかで買い出しをして合宿先の旅館に戻る、くらいの感じだろう。あるいは地元の友人たちなのかもしれない。私はひとり、道を歩いていた。雨に濡れるのが嫌でヘッドホンも持ってきていなかった。若者を追い越し、ステラシアター前の運動場を通り過ぎ、歩道のない道を進む。運動場もステラシアターも、光というものをなにひとつ発していなかった。アーティストのいないホールはただのコンクリートの塊で、管理者のいない運動場は土と草の空白地帯にすぎなかった。自動販売機は動いていたと思うが、光を発するたぐいの設備ではなかった。もっともこの環境でビカビカに輝いていれば、大量の虫を集めてメンテナンスは大変なことになっていたはずだ。

目前には暗闇だけがあった。
道とおぼしき暗闇の周りに、森と土を覆い隠す、もう一段大きな暗闇が遮り、視界の情報には無限の暗闇があふれていた。足下も、手前も、向こうも、富士山も、天空も、暗闇。よくよく見れば星がまたたくようだが、それすらもこの暗闇に溶け込んでいる。
虫は果てしなく鳴いている。自然が嫌いだった私には、その音に対して「虫」以外の形容詞を持たないが、きっと自然の群れだったのだろう。河口湖に溢れる光景だったのだろう。だが、いち都会人にとっては無限に虫で、無限に暗闇だった。
スマホのフラッシュライトだけが、暗闇を払ってくれた。足下の暗闇は道路と土と水たまりでできていて、向こうの暗闇には森が控えていることが、それでようやくわかる。しかしライトの角度を変えると、それらは忽ちに消える。ライトの光は全然無限などではなく、何も見えないに等しい。悪意を持った人間が隠れていたらあっという間に殺されてしまうだろう。
何度も言うが、北海道ではこんな暗闇を感じたことはなかった。なぜなら北海道は空が明るく、星が見えて、かろうじてであっても、文明の光が道路を照らしていた。

この光景は、私が初めて見た、河口湖の暗闇だった。13年もいて初めて見たのだ

火曜日~さよならサマーライブ~

この日は終始文明に振り回され続けた。

ホテルをチェックアウトした。この日まで残っていたメタラーに、車に乗せてもらった。月曜日のあの暗闇を実感したあとでは、ありがたみも桁違いだった。
だが何もすることがなかった。東京に向かう電車の時刻を決めただけで、何も考えず河口湖駅に向かい、ベンチでぼーっとしていた。

「こんなに暑いと料理もしたくなくなるけど、バスの本数が少なくて、買いに行くのも大変」
隣の高齢者がそんな会話をしていた。
観光地で暮らす人々は観光客からは見ていないことが多い。観光地にはいろんな人生があって、その上で、観光客がお気楽に楽しんでいるというわけだ。住民にとっては、ステラシアターなんて、使ったことのない公営プールや公民館と同じ立場の存在かもしれない。
一観光客である我々が地元に貢献できるのは、おそらくそういうところだろう。聖地たるゆえんを声高に宣伝しなければいけないのだ。

ぼーっとしていると、バンドリのコラボバスがやってきた。同じようにずっと駅前で待っていた、カメラを持った男性が、位置どりを変更し、撮影を始める。河口湖駅はたくさんのバスがやってくる。新宿・渋谷からのバスはひっきりなしにやってくるし、沼津からはラブライブ!ラッピングのバスも来た。バスマニアにはたまらない場所なのかもしれない。
それで思い立って、富士急ハイランドでバンドリコラボグッズを買いにいくことにした。

私はバンドリ一期だけは見ていた。よく覚えている。「きらきら星」の歌声に頭を抱えたこと。後半のオーディション回の出音が、気持ち悪いくらいリアルにズレていて、高校生バンドの感覚が完璧すぎるほど完璧に表現されていたこと。あれを何度も視聴できる人は、実は音楽になんてちっとも興味ないんじゃないかと思うほどの、異様なリアルさだった。
あと、メタルイベントで目撃したAyasaさんがMorfonicaとして登場した時は、出音でAyasaさんだと一発で気づいた思い出がある。バンド演奏で埋もれずにヴァイオリンを演奏することの難しさと気持ちよさは、茅原実里現場に通い続けていればよく分かる。
そんなわけで、私とバンドリはほぼ接点がない日常を送っていたわけだが、どうしても氷川紗代というキャラが気になっていたのは事実。断片的に聞きかじったエピソードだけではイングヴェイ・マルムスティーンをモデルにしているとしか思えない(強引)
……いや、姉妹だから、マイケル・アモット、クリストファー・アモット兄弟だろうか?
画像は今年のもの。

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まあ、そんなこんなで、富士急ハイランドに行ってみたら、どこを見てもパリピばっかりでメンタルを壊してしまった。フラフラになって電車に乗って、東京に近づくたびに車窓がケバケバしくなり、同時に車内も暑くなるのを感じながら、ワクチン接種に向かった。

いつもなら、バスで桜木町まで直接帰ってくるか、八王子から横浜線に乗り換えて桜木町に戻るところだったが、ワクチン接種は東京だった。大荷物を詰め込めるロッカーをスマホで探している時、ふと、私の夏休みは永遠に終わってしまったのだと気がついた。
余韻もなく突然に、河口湖のサマーライブは、時間の向こうに去ってしまったのだった。

おわりに

感動とか、涙とか、そういうものはなかった。もともと私は泣けない人間なのだが、それ以上に、「また来年」という言葉を一度も口にできなかったことが、感動や悲しみより、ショックに変換されたのだと思う。
茅原実里は2021年に音楽活動を休止する。歌が大好きで、歌に何度も救われてきた、歌手にして声優の茅原実里が歌をやめたとき、何が起こるのか、私は未だに恐れている。

河口湖に行って、あのライブを見届けたことで、私は茅原実里の決意を感じることができた。
最後にミニアルバムを出す。タイトルは「Re: Contact」。
ラストアルバムをラストアルバムと決めて出せるアーティストは、メタルバンドだってほとんどいない。たいていは売れ行きがダメで契約を切られたり、音楽性の違いで分裂したり、特に音沙汰なくCDも活動もしなくなったりするものだ。
明示的に、自ら打ったピリオドを、ファンは受け止めなければいけない。

だけど私は新たな希望を見つけ出すことができた。

そのためには、今から始めることがある。
諦めないこと。待ち続けること。卵をふ化させるように、希望を絶やさないこと。

今からやぞ!

画像は2013年。あまりにも強烈なクソコラを作っていただいた。若いね。

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