お祓いに連れて行かれた私と青いスキー
ワタクシ、持病がありまして。
最近、薬をもらいに病院に行って
「あの~、先生、最近、ローストビーフとか真ん中が赤いお肉を食べた30分後ぐらいから、激しい腹痛が起きるんですけどなんででしょうか・・。」
と聞いてみた所、
「ああ、〇〇さん(私の本名)の病気はですねぇ、脂と生ものが良くないんですよね。食べるならそれなりの覚悟をして食べた方がいいと思います。」
という話しを、揚げたてのカレーパンを食べ終わった今、思い出しました。
自分の『スキ』を節操なく書き散らかしてる人。
ども、朱祥です。
なんかさ、ローストビーフとか食べられないなんて、
もうブッフェで何を喰っていいのかわからんやん。
ステーキとかウェルダンしか食べれんやん。
どうりで自作したやわらか鶏チャーシューを食べたら
腹を壊したわけだわ。鶏肉、腐ってるのかと思ってたら違ってた。
(「違ってた」と打ったら千賀健太って変換されたんだけど、
千賀健太って誰?)
レア肉食べられないなんて、人生、オワッタ。
挨拶文、なげぇ。
転職祭りで絶賛メンタルがヤラれている私ですが、今、カレーパンパワーで書ける気がするので書いておきます。
私は母から疳の虫が強い子だったと言われていた。
昼間はニコニコしているが夜泣きが止まらず、母はたいそう苦労したそうだ。
母が寝かしつけるのは20時と決まっていた。
寝かしつけは楽だったのだが、
キッカリ1時間後に起きて泣き喚いたという。
ミルクもおむつも替えたが全く泣き止まない。
何をしても泣き止む気配すらない私。
母はどんどん精神的に追い詰められていったそうだ。
ネットもない、近くに友人もいない。
自分の母は遠く離れていて、姉妹はまだ未婚。
話しを聞いてもらいたい旦那は夜中まで帰ってこない。
私だったらどうしていただろう?
自分は薬を飲むことに対して全く抵抗がないから、
ひとまず薬を飲ませるかもしれない。
その当時、運よく父の故郷に転勤になった。
母は藁にもすがる思いで義母に電話をかけた。
義母は母の話しを聞いたあと、
「寝てからキッカリ1時間後に泣くなんて絶対におかしい。
神社でお祓いをしよう」
と言ったそうだ。
え、なんで?
けっこうトリッキーな手を思いつく祖母。
私は両家の初孫だった為、そりゃあもう可愛がられていたのだ。
かわいい孫が夜泣きをして困っている。
これはなんとかしなくては!
何か憑いてるのでは??
で、神社。
思考が飛躍しすぎじゃない?
先に宇津救命丸を飲ませてからでも遅くなかったと思う。
でも、精神力をゴリゴリに削りに削られていた母はその提案を受け入れ、義母と一緒に神社に行ったそうだ。
そして、私を見た神主は、
この子、水子の霊が憑いてるよ。
男の子だよ。
スキーで遊びたがってるから、青いスキーを買ってあげなさい。
本当に憑いていたもよう。
祖母の勘、大当たり!!
私なら青いスキー?なんじゃそりゃ。やっぱり宇津救命丸しかねーな。と言って薬屋に走る所、この2人は違った。
お祓い後、おもちゃ屋さんに行って青いスキーを購入したそうだ。
神主の話しを絶対的に信じてしまうぐらい、弱っていたということだろうか。
そして、買ってきた青いスキーを私の枕元に置き、運命の21時。
バチっと目を開けた私。
やっぱり泣く・・・と母が思った瞬間。
天井をみて、キャッキャと笑っていたそうだ。
・・・
怖っ!!
えー・・・
私、怖っ!!
それから夜泣きはしなくなったという・・・。
夜泣き=憑き物を払う。
残念ながら祖母は他界しているから今は聞けないが、
私があの世に行った時、なぜ神社に連れていこうと提案したのか聞いてみたいと思う。
そのスキーは私が5歳まで大切に保管されたのち、
お焚き上げしたと言っていた。
本当に存在していた証として、スキーをはいた私の写真が残っていた。
初めてその写真を見た時、
「ホントに青いスキーやん・・・こっわ!!」と正直に思った。
その写真の中の私は微笑んでいた。
赤ん坊の私もこうして笑っていたのかと思うと、ちょっと背筋が凍る思い出なのだった。
🌷自己紹介です🌷
🌷note公式マガジンに掲載された記事をまとめたマガジンです🌷
🌷66日ライティング×ランニング完走しました🌷
🌷旅行ヘタが旅行するとこうなります。人気の記事です🌷
🌷 画像をクリックするHPに飛びます 🌷
私を見つけてくれて、繋がってくれて 本当に嬉しいです。ありがとうございます。 頂いたサポート費は 他のクリエイターさんを応援する為に 使わせて頂きますね。 これからもがんばります。 感謝をこめて。*朱祥*