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私の履歴書 齋藤隆太(2) 1度目の挫折

こんにちは!
斎藤隆太です!

今回も「私の履歴書」の連載名をお借りして、僕の半生を振り返っていきます。
前回はこちら♪

結果が出なかった高校3年間

「プロ野球選手になって活躍する」「高校では甲子園でプレーする」

関東大会ではベスト4、市では選抜チームの主将なども務めていた僕はその未来を全く疑っていませんでした。

ただ、つまづいたのは早く、なんと入試のタイミングでした。

当時学業の成績も良く、野球でも実績を残していた僕は推薦入試で志望校に入れるとばかり思っていました。

思い返せば、軟式野球、さらには関東までの世界しか知らなかった僕は井の中の蛙だったのだと思います。

見事に書類選考で落ちた僕は、なんとか一般入試で志望校に入りました。

そこで待ち受けていたのは、その推薦入試をくぐり抜けた猛者たちをはじめとするレベルの高い150名もの競争相手(部員)でした。
推薦入試で入部していたのは全国大会で結果を残した選手ばかりで、正直僕とはレベルが全く違っていました。

そんな猛者が集まっている中で、1軍から4軍まであるとなると、ベンチに入れるどころか練習試合に出るだけでも一苦労でした。

体力的にも技術的にも戦えるレベルにいなかった僕は当然泣かず飛ばず。
自分なりに努力はし続けて、1軍と2軍を行き来するまでにはなったものの結局公式戦のベンチに入ることは3年間で1度も叶いませんでした。

チームは在籍した3年間で2度の甲子園出場と1度の日本一という結果を残しましたが、とても自分の達成と言えるものではなく焦りと悔しさが残りました。

それまでの人生の全てであった野球で全く通用しなかったことは、僕にとって最も大きな挫折経験でした。そしてそれがその後の人生における大きな転機になったのです。

自分の選手としての限界を思い知った僕は、大学の野球部で試合に出るためにその附属校に入ったにもかかわらず、大学では野球から離れる選択をしました。

心機一転新たなフィールドで頑張ることを決めた僕ですが、すぐに2度目の挫折が訪れるのです。

今回はこの辺で。

それではまた!
齋藤隆太

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