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演奏、それは同じにできないもの - 模写作品からの気づき

2017年1月11日にアメブロ(Welcome to 大人のピアノプラクティス♪)に記載した記事です。現在、アメブロからnoteへ引越し作業中で、noteに引き継ぎたいものをセレクトしてお届けしています。


国立西洋美術館で開催中の(というか今月の15日までなのですが)
「クラーナハ展ー500年後の誘惑」を観ました。
http://www.nmwa.go.jp/jp/exhibitions/2016cranach.html

クラーナハさんは、今から500年ぐらい前、そう、5世紀前の時代に活躍したアーティストです。実業の才もあったようで、工房でたくさんの依頼を受注したそうですし、自作には商標を付していました。
工房は息子さんが引き継ぎ、父子で長らく活躍していたようです。

絵画展タイトルの「500年後」というのは、宗教改革が始まった1517年から500年後の今、とのこと。クラーナハさんは、宗教改革の中心人物であったルターと懇意で、自分の作品を通じて、宗教改革にも一役買ったようです。

さて、私が、一番、記憶に残ったのは、クラーナハさんの作品に基づいた、ある試みでした。
それは、クラーナハさんの作品『正義の寓意《ユスティティア》』を、95人の画家が一斉に、6時間という限られた時間内に、模写する試みです。
企画実施した人は、レイラ・パズーキさん。
題して、
『ルカス・クラーナハ(父)《正義の寓意》1537年による絵画コンペティション』。
http://www.tbs.co.jp/vienna2016/work/work4.html 
(リンク先のページを下方へスクロールしてくださいね!下方3番目の作品です)

模写作品というと、隅々まで正確に模倣して描かれた一枚のように思いますが、パズーキさんの試みのコンペティションでは、時間が限られていることもあるのか、本物と比べて、違いが見て取れます。そして、どれひとつとして似ている作品がありません。

絵というものはまっさらなキャンバスに描いていくものなので、位置というのか、配置というのか、その構図は、なぞらない限りは、やはり、同一にならないものなのですね。色彩が同一でないのは言うまでもありません。

作品としての模写に慣れている目には、新鮮な驚きでした。

そして、ふと演奏を想いました。

演奏は、どんなに、著名なピアニストのCDをたくさん聞いたとしても、
同じように弾けるかというと、、、絶対に弾けませんよね。

別段著名なピアニストではなくて、ピアノフレンズ同士の演奏であっても、同じことです。全く同じような響きにはなりません。

模倣から得ることはたくさんありますし、好きで憧れている演奏にむけて「あのように弾きたい」と想いを募らせることは多々あります。ですが、「似せよう」と思わなくてもいいですよね。仕上げは、弾く人自身が造るものなので。

今回も、お目通しいただき、ありがとうございます♪



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