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「おふでさきの物語」 第一章 その3

 少し話題を変えましょう。もう少し大きなテーマでお話を続けようと思います。神様が、世界中のどのようなところを見渡しても、「あしきもの」と呼べるものは決して存在しません。あしきものは、どのようなところにもありませんが、人間の心にほんの少し「ホコリ」が付いていくために、様々な間違いが起こってくるのです。ですから、この話を聞いて後は、心を静かにして、しっかりと考えなければなりません。あとで後悔することのないようにしてほしいのです。この話を伝える為だけに、この神様は多くの時間を費やしてきました。本当に待ちに待って、待ちわびて、やっとここまできたのです。そう、やっと神様は人間たちに本当のことを伝える場所ができてきたのです。ですから、この手本となる家の者もしっかりと考えて納得をする必要があります。それで今からこの世に生命が現れて以来今日までの長い道のりをゆっくりと聞かせるのです。しっかりと聞いて理解してください。
 まず、これからすぐにとりかかることは、手本となる家をしっかりとした手本となるような家に仕上げていくことです。
 神様は本当に急いでいるのです。この家の者たちへ、絶対に悪いようにはしないから神様の意志に従うようにと、何度も何度も促しているのです。
 たとえば、この家には、神様の思いから反して、生まれた子供がいます。もちろんその親は精一杯に子供を可愛がりますが、どんなに幸せを願っていても、神様の思いに反するようでは決して幸せには育たないでしょう。この意味をしっかりと考えるようにと、この家の者たちに促しています。どんなに幸せを願っても、神様の摂理から離れてしまえば、人間たちがどんなに抗おうとも決してどうすることもなきないからです。
 この世の中にはさまざまな「ホコリ」が渦巻いています。そのホコリが魂の年輪に染みついてしまうようなことがあってはなりません。たとえば、年齢が五十に近づいて、自分の人生が終わりのように思ったとしても、神様の目からみれば、この先もずっと長い道のりが続いています。この人生だけをみてもあと六十年もの人生がきっと続くでしょう。
 だからこそ、神様はこの手本となる家の者に言いました。しっかりと心を入れ替え、心についたホコリを掃除しなさい。そして新しい家庭を築き上げるのです。人間の目から見れば、このことはお前たち人間の目からみれば、あり得ない話、難しい話に思えるかもしれません。でも、この神様の意志によって、この手本となる家を築いていこうとするかぎり、できないことはなにもないのです。神様の理想へと、しっかりと心を尽くして手本を示していくならば、手本となる者に世界中の人々を導いていかせようと思います。もちろん、家族のものが全員神様の意志にしたがって自分たちのことをすべて投げ出せというのではありません。たとえば五人の兄弟がいるとしたなら、真ん中の二人は自分たちのことをしても構いません。でも半数以上の三人はやはり神様の意志に従って、しっかりとした手本を見せて貰いたいと願うのです。
 こういったことを、古今東西、さまざまな視点からしっかりと心を静めて考えなければなりません。今までも、これからも、この世界は神様の摂理の中で動いています。今回のように神様の意志にしたがって、手本となる家庭を作ろうと神様自らが表にたつことは初めてのことなのです。
 世界中に人々は不思議に思い、笑い話のようになるかもしれません。でもどれほど人々が笑おうとも、このことが最も大切なことなのです。たとえ世界中の人間たちが笑おうとも、神様の理想とする世界が人々の笑顔でいられる世界ですから、実はこのことは神様にとっても楽しみなことと言えるのです。そしてもっと大切なこと。それは人々が心の中で思っていること、それは決して神様と同じではないということです。人々は勝手に、自分の立場から物事を見て判断し、神様の意志はこうだろうと考えがちです。でもそれは決して実際の神様の意志と同じではないのです。それは、結婚と言うことを例にあげても分かります。人々は、容姿や性格、家柄などで相手を決めようとします。そうしてさぞ、神様が自分に選んだ相手だと錯覚するかもしれません。でも、本当に神様が選ぶとしたら、生まれる前の人生、つまり前生や前々生の通り方をも考えた上で選ぶでしょう。そうすることによって、人間は、永遠の幸せを得られるのです。

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