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「おふでさきの物語」 第二章 その2

 ここでたとえ話をしましょう。高い山に水が湧いて小さな池ができたとします。きっと最初は濁っていることでしょう。人の心も同じことです。ゆっくりと心を静めていけば、だんだんと池の水も澄んでくるのではないでしょうか。神様の摂理というものは、ちょうど池の水に作用して、少しずつ澄んだ水へとかえていくのと同じことです。手本となるべき人々はまず、同じように心に湧いた水を澄ませることが大切です。そのために神様の摂理が作用しやすいような心にならなければなりません。そうすればやがて頼もしい人材へと成長していくことになります。これからはどんな人々の心にも作用して塵や埃を掃除していこうと思います。とくに上流社会に住む心の濁った人に対しても作用できるようにしていきたいと願うのです。それは、どんなに心の濁った人でも、心にある塵や埃さえ取り除けば、きっと澄んだ美しい心へと変わるからです。
 ここからは、神様への祈りを理解する者たちとそうでない者たちの話をしましょう。難しい話ですから、ちょっと分からないことがあるかもしれません。今一番残念に思うことは、神様への祈りを理解する者ではなく、理解しない者たちの考えの方が素晴らしいと思われていることです。理解するものたちを手助けすることによって少しずつ理解をいない者たちの考え方も変えていこうと思うのです。そうして今から、まず理解するものとそうでない者をしっかりと分けようと思います。理解するものたちの社会を広げることのよって、世界中の人々をたすけようと思うのです。とくに上流社会にすむ人々はまったく神様の声に耳を傾けようとはしません。私のことばも軽々しいものに思っていることでしょう。ですから、これからは人々の体内に直接神様の摂理が作用して、人々の心を分けようと思います。そうすると、どんなに心ない人々が反対しようとも、きっと心ある人々、神様への祈りを捧げる人々は増え続けていくことでしょう。祈りを捧げる人々が増えてくると、理解しない者たちの反対や攻撃を恐ろしく感じ、行き先を不安に思う人々がでてくるかもしれません。でも、神様がすべてを保証すます。不安に思うようなことは一切ないのです。
 どうしてこの神様を声に耳を傾ける人々が心配しなくてもいいのでしょうか。それはこの世を創造して証拠として人々を最初につくった地点に据えることによって、様々な不思議な出来事を人間たちが体験できるようになるからです。神様の声に耳を傾けない人々、特に上流階級に住む人々も神様の摂理に従っていきています。そのことが理解できればきっと、神様の声に耳を傾ける人々が増えて幸せな世界に変わっていくことでしょう。
 そうなるように、今までいろいろと話を進めてきましたが、もうすぐ、この神様の声が、たしかに間違っていないと気づくことでしょう。まず人々の手本となる者たちは、神様の声に傾けた結果本当に十分なほどの幸せと出会えるでしょう。その幸せを楽しんで通って欲しいのです。反対に神様の声に耳を傾けないで、自分の私利私欲の為に進んで行くと、やがて神様の怒りに触れる日がくることでしょう。ちょうどどんな暗闇でも満月の光に照らされるように、ひとりひとりの心に存在する良い心遣いも、あるいは悪い心遣いも、はっきりと映し出されることになるのです。それは誰の心もみな同じことです。たとえ神様の声に傾けていても、あるいはそうでなくとも、毎日の心遣いの善悪をいつも、すべてはっきりと映し出されるのです。たとえ神様の声に耳を傾けない人であっても、はっきりと心遣いの良い者とそうでないものを分けていくことも、とてもたいせつなことなのです。
 では、どうやってわけるのでしょうか。それは、ちょうどこの世界に様々な法則があるように、人々の心の中に神様の摂理がさようして、しっかりと神様の声に耳を傾けているものと、そうでないものをしっかりと分けるのです。

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