見出し画像

天理教手柄山分教会報より「逸話篇を学ぶ」(2020年前半掲載分)

22 おふでさき御執筆  (2020年1月掲載)
 
 教祖は、おふでさきについて、
「ふでさきというものありましょうがな。あんた、どないに見ている。あのふでさきも、一号から十七号まで直きに出来たのやない。神様は、『書いたものは、豆腐屋の通い見てもいかんで。』と、仰っしゃって、耳へ聞かして下されましたのや。何んでやなあ、と思いましたら、神様は、『筆、筆、筆を執れ。』と、仰っしゃりました。七十二才の正月に、初めて筆執りました。そして、筆持つと手がひとり動きました。天から、神様がしましたのや。書くだけ書いたら手がしびれて、動かんようになりました。『心鎮めて、これを読んでみて、分からんこと尋ねよ。』と、仰っしゃった。自分でに分からんとこは、入れ筆しましたのや。それがふでさきである。」
と、仰せられた。
 これは、後年、梅谷四郎兵衞にお聞かせ下されたお言葉である。

 
 「おふでさきには、何が書いてあるんですか」
 昔、未信者の友人に尋ねられたことがあります。
「えっ」と一瞬言葉が詰まってしまいました。
「神様が、口で簡単に言い表せなかったり、忘れられたら困るみ教えを、5・7.7・7・7の和歌体で教祖のお手で書かれたものです」
「で、結局、何が書いてあるの?」
「だから、口では言い表すのが難しいみ教えが書かれているって言ってでしょ!」
 結局、上記のような訳の分からない会話になってしまいました。
 私たちが毎日のように拝読させて頂くおふでさきですが、全体を通して神様がお教え下さる内容を理解している人は少ないのではないでしょうか。
 考えてみると、その理由の一つは、何年も時間をかけて書かれたものだからということが考えられます。
 御逸話にあるように明治二年の正月に書かれたおふでさきは、明治十五年にやっと十七号を書き終えられます。実に十数年の月日を費やしているわけです。そうしてこの明治十五年というのは、二段までできていた石のかんろだいを警察に没収された年です。また、みかぐらうたの地歌をあしきはらいから「はらうて」いちれつすますを「すまして」に変更された年でもあります。
 難しいことはわかりませんが、やっぱりおふでさきの完成とつとめの完成には深い繋がりがあるように思います。
  これをはな一れつ心しやんたのむで(17-75)
とありますように、人間一人ひとりが、絶対にちゃんと考えるように神様から頼まれた「これ」がおふでさきに書かれているのです。そうしてそれが分からないと本当のつとめの完成にはならないように思います。
 おふでさきに書かれている内容を、あなたは誰かにちゃんと説明できますか?
 
      184 悟り方   (2020年2月掲載)
 
 明治十九年二月六日(陰暦正月三日)お屋敷へ帰らせて頂いていた梅谷四郎兵衞のもとへ、家から、かねて身上中の二女みちゑがなくなったという報せが届いた。教祖にお目通りした時、話のついでに、その事を申し上げると、教祖は、
「それは結構やなあ。」
と、仰せられた。
 梅谷は、教祖が、何かお聞き違いなされたのだろうと思ったので、更に、もう一度、「子供をなくしましたので。」と、申し上げると、教祖は、ただ一言、
「大きい方でのうて、よかったなあ。」
と、仰せられた。

 
 亡くなられた次女のみちゑさんは、まだ一歳であったそうです。名づけられたのは教祖御自身で、信仰の「みちしるべ」となるようにとの意味が込められているのだそうです。大きい方というのはご長男の梅次郎先生です。逸話篇では教祖に「ダルマさん」と言って、四郎兵衛先生が恐縮なさったという話がでてきますね。
 私たちのように後に生きる者は、きっとみちゑさんのお出直しがすなわち梅谷家の信仰のみちしるべとなったのだと考えることもできます。でも、実際に子供を亡くした時に、そんなことがすぐに悟れる程の信仰を持っているかと自らを顧みると、とうていできることではありません。
 この御逸話篇を読んでいつも思い浮かべるのは、父である五代会長が出直しした時の富子祖母の姿でした。絶対に悲しいはずであったのに、決して周囲にそんな様子をみせることがなかったからです。父の兄弟は子供の頃に二人、夭折されているそうです。祖母の確固たる信仰心は、いったいどんな悟り方をしてできたものなのかはわかりませんが、少しでも近づけるように努力したいと思います。
 富子祖母が出直された時、もっとも悲しんでおられたのは、後に岐阜東分教会長となられた篠田芳雄先生だったと記憶しています。先生と書くと少々堅苦しいのですが、父の末弟で小さい頃にたくさん遊んでくださった「芳雄兄ちゃん」です。父の兄弟はみんな優しい叔父ばかりでしたが、年齢が近いこともあって一番優しかったように思います。その「芳雄兄ちゃん」も今月に入って出直されました。これで父の男兄弟は全員出直されたことになります。まだ何の悟り方もできていませんが、少しでも短命のいんねんを変えられるような信仰を子供たちに伝えていきたいとただただ思うのです。
 
      92 夫婦揃うて  (2020年3月掲載)
 
 梅谷四郎兵衞が、入信して間のない頃、教祖にお目にかかると、
「夫婦揃うて信心しなされや。」
と、仰せ下された。早速、妻のタネに、「この道というものは、一人だけではいかぬのだそうであるから、おまえも、ともども信心してくれねばならぬ。」と話したところ、タネも、素直にしたごうた。そこで、先輩に教えられた通り、茶碗に水を入れ、おぢばに向かって、
 なむてんりわうのみこと
と、三遍唱えて、その水を二人で分けて飲み、お誓いのしるしとした。

 
 鳥取輝道分教会の会長様が今月のはじめにご結婚されました。本当におめでとうございます。なので、今月はこの御逸話を取り上げさせて頂きました。
 「揃う」という言葉には、大きく分けて二つの意味があります。一つは、複数のものが欠けることなく一か所に集まっていること。そうしてもう一つは、調和がとれている。歩幅やテンポなどがあっている状態です。
 この逸話を読んでまず思い浮かべるのは、やはり前大教会長様が幾度となく講話でお話下さる子供の頃のお話ですね。前会長様が子供の頃、頭にクサができて、それを心配された紺谷久則三代会長様が、父親である紺谷金彦二代会長様に相談されたら「お前たち夫婦は車輪の違う機関車のようなもの」と悟られたという話です。今年の春季大祭でも、少しお話されていたと思います。この「揃う」というのは夫婦の間だけでなく、おつとめをはじめ、このお道を通らせて頂くうえで、非常に大切なことではないでしょうか。
 今月三日、御本部において、新型肺炎の終息等を祈念するお願いづとめが行われました。筆者も家族とともにおつとめをさせて頂きましたが、大勢の方が真剣につとめており、正しく「揃う」という言葉の相応しいお願いづとめでした。様々なイベントが中止・延期されるなか、本教においても、学生生徒修養会や春の学生おぢばがえり等の行事が中止になっています。飾東大教会でも少年会の系統別総会が中止されます。
 本教の道開けは、をびやゆるしですが、「をびやほうそ」の言葉通り、先人の先生方は疫病のおたすけで様々な不思議を見せられました。夫婦で心を揃えること。家族で心を揃えること。教会で心を揃えること。そうして神様に心を揃えること。飾東創立130周年に向けて、祖神様、親様にお喜び頂くためにも、自らの心がちゃんと神様に揃えられているか。一人ひとりがしっかりと振り返らせて頂かなければならないのではないでしょうか。
 
148 清らかな所へ   (2020年4月掲載)
 
 斯道会が発足して、明誠社へ入っていた人々も、次々と退社して、斯道会へ入る人が続出して来たので、明誠社では、深谷源次郎さえ引き戻せば、後の者はついて来ると考えて、人を派して説得しようとした。が、その者が、これから出掛けようとして、二階から下りようとしてぶっ倒れ、七転八倒の苦しみをはじめた。直ちに、医者を呼んで診断してもらうと、コレラという診立てであった。そこで、早速医院へ運んだが、行き着く前に出直してしもうた。それで、講中の藤田某が、おぢばへ帰って、教祖に伺うと、
「前生のさんげもせず、泥水の中より清らかな所へ引き出した者を、又、泥水の中へ引き入れようとするから、神が切り払うた。」
と、お言葉があった。

 
 教祖の御逸話は温かなものは多いのですが、この逸話はおどろおどろしいくらいに厳しい御逸話です。そうして普段、聞かない言葉も出てきます。深谷源次郎先生は、子供の頃に「けっこう源さん」の読み物を読んだことがあるので分かりますが、斯道会や明誠社と言われても何のことか分かりませんね。斯道会は調べるとすぐに出てきます。河原町大教会の前身だそうです。でも、明誠社は天理教辞典や教理の本を探しても見つけることはできません。どうしてだろうと思ってネットで調べるとでてきました。なんと天理教とは別の宗教団体になっていたのです。どうりで、お道の本には出てこないわけです。でも、短絡的に天理教と違う宗教だから泥水なのだとは思いません。どんな考え方をする人も、神様から見るとやはり可愛い我が子なのですから。やはりこの厳しい出来事の中にも、多くの子供たちを助けたいとの親心が、必ず存在するはずです。そう思って読み返すと、気になる言葉がありました。それは「前生のさんげもせず」という言葉です。コレラのような疫病を前にして無力な人間が、陽気ぐらしを望まれる親神様に対して、先ずすべきことは「前生のさんげ」であると、この御逸話は教えて下さっているのだと思います。では、どうやってさんげをさせて頂いたらいいのでしょうか。こんなお言葉があります。
「神様が、きっと救けて下さるで。心変えなさんなや。なんでもと思うて、この紐放しなさんなや。あんた、前々生のことは、何んにも知らんのやから、ゆるして下さいとお願いして、神様にお礼申していたらよいのやで。」(逸話篇199 一つやで) 見せて頂けるいんねんもあるかも知れません。見せて頂けないういんねんもあるかもしれません。でも、神様につながる紐を決して放すことなく、前生のさんげをさせて頂くことが、陽気ぐらしへとつながる確かな道になるのではないでしょうか。
 
    90 一代より二代   (2020年5月掲載)
 
 明治十四年頃、山沢為造が、教祖のお側へ寄せて頂いた時のお話に、
「神様はなあ、『親にいんねんつけて、子の出て来るのを、神が待ち受けている。』と、仰っしゃりますねで。それで、一代より二代、二代より三代と理が深くなるねで。理が深くなって、末代の理になるのやで。人々の心の理によって、一代の者もあれば、二代三代の者もある。又、末代の者もある。理が続いて、悪いんねんの者でも白いんねんになるねで。」
 と、かようなお言葉ぶりで、お聞かせ下さいました。

 
 今月2日、大教会で飾東大教会創立130周年記念祭・五代会長就任奉告祭がつとめられました。残念ながら参拝すすることはできませんでしたが、詰所でも記念祭の時刻に合わせて午前10時より座り勤めと12下りのてをどりをつとめさせて頂きました。子供たちも、前・後半続けて十二下りの鳴物をつとめてくれました。また会長様より動画配信の連絡をいただいていたので、少し遅れてですが、見させて頂きました。大教会長様は、陽気ぐらしへの道のりを山登りに、神様から見せて頂く節を、親から渡された水筒に例えて、分かりやすく、教理を説いてくださいました。 手柄山分教会の五代会長であった父も山登りが好きであったので、大いに共感できるお話でした。
 さて、今月学ばせて頂く御逸話は、なんど読み返しても、難しいお話です。どうして親にいんねんをつけると子供たちの理が深くなるのか。あるいは、理を深くするために、神様は親にいんねんをつけられているのでしょうか。そもそも、「親にいんねんをつける」とは?「理が深くなる」とは?考えれば考えるほど、いろんな捉え方ができる気がして、私にはまだまだ分からない御逸話です。ただ分かるのは、子供たちの幸せを願うなら、一生懸命に、道を通らせて頂くしかないということかなあと思っております。飾東大教会や手柄山分教会につながる私たちも、代を重ねていく中で、少しでも幸せを感じられるような信仰をもって自らも通り、子供たちにも伝えていきたいと思っております。
 
   133 先を永く  (2020年6月掲載)
 明治十六年頃、山沢為造にお聞かせ下されたお話に、
「先を短こう思うたら、急がんならん。けれども、先を永く思えば、急ぐ事要らん。」
「早いが早いにならん。遅いが遅いにならん。」
「たんのうは誠。」
と。

 
 
 非常事態宣言は解除されましたが、新型コロナは、まだまだ収束には遠い気がします。
 2003年の春、SARSが流行した頃、筆者は香港にいました。連日、どこそこのビルで何名が完成したと報道されるなか、私たち家族は、まだ二歳も満たない長女にうつらないかと心配したり、ひのきしんデーの開催はどうしようかと頭を悩ませたりしていました。当時私は人間関係に悩んでいたこともあって、何からどう、手をつけたらよいかもわからず、ただただふさぎ込むような生活になってしまっていたことを覚えています。
「たんのうは誠。」
 このお言葉は、「急ぐ事要らん。」という意味のお言葉のあとに続いて、突然出てきます。どうしてでしょう。ずっと分からなくて気になっていました。が、たんのうは前生いんねんのさんげと口にした瞬間、そうだ、さんげだから神様に謝っているんだと胸に収まりました。謝っているということはつまり、許してもらうのを待っている状態なのです。待っているのですから、勝手に急いではいけないのです。しっかりと反省して、神様に許してもらって、それからやっと急ぐことができるのです。あの頃、周りのせいにばかりしていましたが、十年以上たって、やっと冷静にあの頃の自分を考えることも、反省することもできるようになった部分が、確かにあります。
 きっと新型コロナも、やがては収束に向かうことでしょう。まだかまだかと思わずにはいられませんが、今はしっかりとたんのうさせて頂くことが大切ではないでしょうか。
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?