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「おふでさきの物語」 第十四章 その2

 今まで、ずっと神様は説いてきましたが、今から呼称を変えることにします。今までは社会を治める様々な権力が思い通りに、勝手気ままにこの社会を動かしてきましたが、これからは「をや」がそれらに代わってこの社会をしっかりと治めていくのです。ですからをやの心に背くようなことがあれば、そのかやしを受けることになるのです。今までに積もったをやの残念な気持ちは決して小さなものではありません。しっかりとこのことを考えてもらいたいのです。しかし現在においてもまだ世界中の人々は、権力を握った人間が何も知らないで勝手気ままにくらしてます。そこでしっかりと考えてもらいたいのです。人間も自分たちの子供はきっと可愛いことでしょう。人類のをやが全ての子供を慈しむ気持ちをそこからしっかりと考えてもらいたいのです。毎日の暮らしの中でをやの考えというのは、人々を救済することだけを考えているのです。しかし、そのことを知らない多くの人間たちは、みななにか得体の知れない悪いもののように思っているのです。ですから、どのようなことであっても、まずをやの残念な気持ちをしっかりと考えなければなりあせん。子供である人間がいつも好き勝手に意見を言っているのですから。ですから今後どのようなものが意見を述べるのであっても、まずをや心をしっかりと聞いて理解していたならば、それらの好き勝手な意見に耳を傾ける必要などないのです。これらの意見はたとえどのような者が述べるにしても、どのような者が社会の権力を握って勝手なことを言っていたとしても、それらはのものはすぐにをやが退いてしまうことになるのです。しかし、本当にをやが退いてしまうようななるまでには、しっかりとそのことを本人が理解できるように、反省できるように、何度も繰り返しことわりをいれることになります。今日の日まで人々はどのようなことでも、いろいろに心配したことでしょうが、明日からはきっとどのようなことが見えてきても、どのようなことを聞いてもすべて楽しみへと変わっていくことでしょう。
 今まで社会を治める上流社会の人々の勝手気ままな心によって、多くの人々はどのようなことであっても、さまざまな指図を起きてきましたが、これから先は、たとえどのようなことであっても、まずをやの指図を仰ぐことが大切です。もしをやの心に背くようなものであれば、勝手気ままな心によって行われた指図など受ける必要はないのです。今までは、まだ時旬が到来していなかったので、どのようなことであってもじっと人々の暮らしを見守っていました。しかしもう十分に時旬が到来しているので、どのようなことに対してもをやの心そのままの結果になっていくことでしょう。これからはをやの心にもうことばかりの世界へと変わっていくのですから、をやがどのようなことを説いてきかしても、その一言一言に決して間違いはありません。ですから、世界中の人々はたとえどのような所にすむ人であっても、いつ、どのようなことがこるか分からないので、しっかりとそのことを心に留めておかなければなりません。しかしたとえどのようなことがあったとしても、真実誠の心さえあるならば、どのようなものであっても決して怖いということはないのです。本当に心が澄み切ったならば、澄み切りさえしたならば、あとはどのようなことであっても楽しみばかりとなってゆくのです。
 この話をしっかりと聞いてその通りにする者がいるならば、小お道がどのような道かをしっかりと理解していなければなりません。それは世界中の人々のはすべて、をやの目からみればみんな可愛い子供なのです。そうして可愛いからこそどのようなことをいうか分からないのです。それかこの世界、たとえどれほどの上流社会に住む人々であっても、社会の底辺でどれほど貧しい生活をしている人々であても、等しくをやの可愛い子供なのです。だからこそ今回どのようなことであっても、本当におやが思っている真実の心を世界中の人々に伝えてゆきたいのです。そうしてこのをやの心さえしっかりと世界中の人々が理解したならば、やがて永遠の陽気な世界が訪れるのです。そうなってほしいからこそ、をやが子供である世界中の全ての人々に頼むのです。どうかこの道を歩んで欲しい、このことを考えて承知して貰いたいのです。


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