天理教手柄山分教会報より「逸話篇を学ぶ」(2017年前半掲載分)
天理教手柄山分教会報コラム
「逸話篇を学ぶ」より 立教180年 (2017) 掲載分です.
63 目に見えん徳 (2017年1月掲載)
教祖が、ある時、山中こいそに、
「目に見える徳ほしいか、目に見えん徳ほしいか。どちらやな。」
と、仰せになった。
こいそは、「形のある物は、失うたり盗られたりしますので、目に見えん徳頂きとうございます。」と、お答え申し上げた。
教会の元旦祭で、久しぶりにお会いする方が二人いらっしゃいました。
一人はN君で、もう一人はH君です。(ネットにあげるにあたってイニシャルにしました)
お二人の顔を眺めていたら、なんとなく長年抱いていた疑問が解けたような記がしました。
どんな疑問かというと、「なぜ目に見えん徳は消えないのに、目に見える徳は消えていくのだろう」ということです。元旦祭の直会で二人の顔を「たくさんの徳をいただいておられるなあと」思いながら拝見していたら、本当になんとなくなのですが、その疑問が解けたような気がしたのです。
目に見える徳は、きっと頂いても、当たり前だと思うから消えていくのです。今の自分の健康や家族や財産や能力や立場やいろんなものをベースにして、頑張った分だけの褒美を願ってしまいますが、本当は既に沢山の徳を頂いているのです。でも、当たり前だと思って気づかないから消えていくのです。反対に見えないと人間は不安になって、ちゃんと節約をします。どこかで徳が漏れていないか確認します。だれかにホコリを積ませていないか、心配になります。どれほどひのきしんをしても、まだまだ足りない気がして、もっともっとと頑張ります。だから見えない徳は、当たり前じゃないから、不安になるから、どんどんと溜まっていくんだと思います。
N君のお祖父さんお祖母さんは半世紀の間ずっと大教会で勤めてこられました。H君のお父さんのYさんは、五代会長であった父の弟さんですが、父が出直されたとき、自分の仕事を全部やめて教会の為に尽くされました。
N君やH君の顔を見ながら、そんなことを考えたのでした。
110 魂は生き通し (2017年2月掲載)
教祖は、参拝人のない時は、お居間に一人でおいでになるのが常であった。そんな時は、よく、反故の紙の皺を伸ばしたり、御供を入れる袋を折ったりなされていた。
お側の者が、「お一人で、お寂しゅうございましょう。」と、申し上げると、教祖は、
「こかんや秀司が来てくれるから、少しも寂しいことはないで。」
と、仰せられるのであった。
又、教祖がお居間に一人でおいでになるのに、時々、誰かとお話になっているようなお声が、聞こえることもあった。
又、ある夜遅く、お側に仕える梶本ひさに、
「秀司やこかんが、遠方から帰って来たので、こんなに足がねまった。一つ、揉んでんか。」
と、仰せになったこともある。
又、ある時、味醂を召し上がっていたが、三杯お口にされて、
「正善、玉姫も、一しょに飲んでいるのや。」
と、仰せられたこともあった。
筆者が結婚する少し前、家内が教会にあったウエディングドレスを試着したことがあります。その時、普段見た事もないような笑顔で富子祖母がのぞきにきてビックリしました。残念ながら、その少し後、結婚式の三ヶ月前に出直されたこともあって、今でも強く印象に残っています。命日は家内の誕生日と同じ一月九日でした。
結婚式には間に合わなかったけれど、家内の花嫁姿を見せることができてよかったと思っていました。でも、後日この御逸話を拝して、結婚式もどこかで見て下さっていたかもしれないとうれしくなったことがあります。富子祖母だけでなく、父である五代会長も、もしかしたら、見ていてくれたかもしれないと、そんな気持ちにもなりました。
人生の節目だけでなく、嬉しい日や辛い日、道を誤りそうになった日など、もちろん親神様や教祖は見ていて下さるのですが、同時に身近な人が、ずっと見ていて下さるということが、どれほど心の支えになってきたか分かりません。
長女が生まれた2001年5月27日、一晩中待ち続けた香港の病院の片隅に、ふといるはずもない父親がいるような気がしたのを覚えています。(栄)
164 可愛い一杯 (2017年3月掲載)
明治十八年三月二十八日(陰暦二月十二日)、山田伊八郎が承って誌した、教祖のお話の覚え書に、
「神と言うて、どこに神が居ると思うやろ。この身の内離れて神はなし。又、内外の隔てなし。というは、世界一列の人間は、皆神の子や。何事も、我が子の事思てみよ。ただ可愛い一杯のこと。
百姓は、作りもの豊作を願うて、それ故に、神がいろいろに思うことなり。
又、人間の胸の内さい受け取りたなら、いつまでなりと、踏ん張り切る。」
と。
マーティン・スコセッシ監督の『沈黙』という映画が公開されたそうです。映画は見ていないのですが、遠藤周作さんの原作は高校時代に読みました。熱心に日本でキリスト教の布教を続けていた伝道師が突然に棄教したと聞いた主人公のロドリゴが、彼に代わり島原の乱以降の天草地方で隠れキリシタンに布教していく物語です。でもやがて裏切りにあって幕府に捕まってしまいます。それでも主人公は神様に救いを求めるのですが、神様は沈黙をつづけたままでといった内容でした。私にとって、この本は天理教とキリスト教の根本的な違いについて考えるきっかけになりました。それは眠っている間も心臓が動いていたり、ご飯を食べたら、美味しいと思えたりする事が神様の御守護だと教えられてきた私にとって、沈黙を続ける神様ということの意味が分からなかったからです。
民主主義はキリスト教文化から生まれました。その根本である「法の下の平等」は一神教でないと生まれない思想です。交通安全を守る信号機やスポーツなどのルールブックにたとえると分かりやすいかもしれません。信号機やルールブックが二種類以上あると、事故や混乱のもとになりますね。だから「ひとつ」ということが大変重要になってくるのです。名奉行大岡越前の名裁きといったものは、キリスト教社会でなかなか生まれません。それぞれの人に合わせて裁きが変わっては法の下の平等でなくなるからです。翻って本教で大切なことはなんでしょうか。私たちは日々の生活の中に、神様の御守護がつまっていることを教えられます。つまり人間は皆等しく、神の子であり、救済されている存在なのです。そのことに気づき神様に感謝し、神様の望まれる陽気ぐらしに近づくことが人間にとってのたすかる道だと教えられます。「何事も、我が子の事思てみよ。ただ可愛い一杯のこと。」たとえ、どれほど辛い日や悲しい日が続いても、神様は我が子のように自分のことを慈しんで下さっている、そう信じて通ることができるという喜びが、もしかしたら一番大切な本当のたすかりなのかも知れません。
117 父母に連れられて (2017年4月掲載)
明治十五、六年頃のこと。梅谷四郎兵衞が、当時五、六才の梅次郎を連れて、お屋敷へ帰らせて頂いたところ、梅次郎は、赤衣を召された教祖にお目にかかって、当時煙草屋の看板に描いていた姫達磨を思い出したものか、「達摩はん、達摩はん。」と言った。
それに恐縮した四郎兵衞は、次にお屋敷へ帰らせて頂く時、梅次郎を同伴しなかったところ、教祖は、
「梅次郎さんは、どうしました。道切れるで。」
と、仰せられた。
このお言葉を頂いてから、梅次郎は、毎度、父母に連れられて、心楽しくお屋敷へ帰らせて頂いた、という。
新学期ですね。新しい学校、新しい学年を迎える子供たちを見ながら、うれしさとともに、これからちゃんとやっていけるかな?と不安になることもあります。この「父母に連れられて」という御逸話を読ませて頂く時に、いつも考えるのは、道が切れないようにするには、どうすればよいか?ということです。詰所に住まわせている筆者は、子供たちと御本部へ参拝に帰らせて頂く時、走り回る子供たちをみながら、叱るべきタイミングや程度を、どうしても考えてしまいます。詰所でのおつとめの時も、毎月、修養科生の方々や教養掛の先生が代わるので、叱るべきタイミングや程度をいつも同じようにすることは難しいと感じています。でも、別の御逸話篇を読んでいる時、あることに気がつきました。それは道が切れるのは、何も子供が道を継がないだけではない、つまり自分自身の信仰はどうなのかということです。「人がめどか」(逸話篇123)には、父親である入信後まもない梅谷四郎兵衛先生が黙って大阪へ帰ろうとされた時の様子が書かれています。
「四郎兵衞さん、人がめどか、神がめどか。神さんめどやで。」
結局、子供に道を伝えるのも、自分自身が道を歩んでいくのも、ちゃんと神様が「めど」になっているかという一点につきるのではないでしょうか。
詰所におらせて頂いている息子も、二歳児の時のように消化器をぶちまけたり、火災警報装置のスイッチをいれて、詰所中にサイレンをならすといったことは、さすがになくなりました。でも、小学三年生になってもやはり、いろいろと心配することはでてきます。女の子たちにも、それぞれにいろんなことが出てきます。子供たちにみせられること、夫婦で見せられること、自分自身が見せられること、喩えどんなことに出会っても、いつも神様を「めど」にして道がきれないように、心がけたいものです。
157 ええ手やなあ (2017年5月掲載)
教祖が、お疲れの時に、梶本ひさが、「按摩をさして頂きましょう。」と申し上げると、
「揉んでおくれ。」
と、仰せられる。そこで、按摩させてもらうと、後で、ひさの手を取って、
「この手は、ええ手やなあ。」
と、言うて、ひさの手を撫でて下された。
又、教祖は、よく、
「親に孝行は、銭金要らん。とかく、按摩で堪能させ。」
と、歌うように仰せられた、という。
「ええ手やなあ」と教祖に褒められる手とは、いったいどんな手なのでしょうか。想像された方はいらっしゃいますか?どのような手が「ええ手」であるのか、私にはわかりませんが、きっと一生懸命に働いている人の手は、「ええ手」なのだろうと思います。それから、やっぱり親孝行な人の手が「ええ手」なのだろうと思います。この逸話篇を読む度に、自分の掌を見つめ直して、神様に喜んで貰えるような「手」になっているかと反省してしまいます。筆者は詰所に住まわせて頂いておりますが、詰所にはいろんな御者の方がこられます。宅配屋さんやガス屋さん、水道屋さんに。それにチラシも抱えた飲食店の方も……。いろいろな職種の方々がいらっしゃいますが、職業毎に手の感じが、少しずつ違うようにみえます。やっぱり一生懸命に仕事をされる方の手は格好がいいですね。きっと、そういう手が「ええ手」なのかも知れません。そうして、親孝行な手とは……。親孝行らしいことのまったく出来ていない私には、どんな手が「ええ手」なのか、答えるのは難しいですが、少しくらいは、頑張って、親孝行をしなければ……。
もうすぐ『母の日』ですね。
60 金平糖の御供 (2017年6月掲載)
教祖は、金平糖の御供をお渡し下さる時、
「ここは、人間の元々の親里や。そうやから砂糖の御供を渡すのやで。」
と、お説き聞かせ下された。又、
「一ぷくは、一寸の理。中に三粒あるのは、一寸身に付く理。二ふくは、六くに守る理。三ふくは、身に付いて苦がなくなる理。五ふくは、理を吹く理。三、五、十五となるから、十分理を吹く理。七ふくは、何んにも言うことない理。三、七、二十一となるから、たっぷり治まる理。九ふくは、苦がなくなる理。三、九、二十七となるから、たっぷり何んにも言うことない理。」
と、お聞かせ下された。
この間、体調を崩したので、家内におさづけを取り次いで貰いました。「貴方が私に頼むなんて」と珍しいものをみるような目で驚いていた家内ですが、そのあと、御供さんを持って来てくれました。その後、病院へ行って、検査もしてもらったのですが、大事に至らなかったのは、家内のおさづけと御供さんのお陰だと、感謝しております。
「ここは、人間の元々の親里や。そうやから砂糖の御供を渡すのやで。」
そう言えば、教祖傳をひもとくと、教祖も、時には厳しい言葉で、子供の成人を急き込まれる場面もありますが、病気で苦しんでおられる人々に対しては、砂糖の御供のように、甘い優しい態度やお言葉で人々をたすけられているような気がします。考えて見れば、私たちの子育てもそうかも知れませんね。子供が危険だと思うから、厳しい言葉を出す事もありますが、病気やケガで泣いているときは、自然と甘い優しい言葉になっているように思います。やっぱり、優しい言葉って、大切だなあと、珍しく、家内から優しい言葉をかけられた私は、つくづく、そう思うのでした。
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