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おたねさんちの童話集 「ロバのバロン」

ロバのバロン
 
今日もバロンは、ゆっくりと重い荷車を引いておりました。毎日牧場で作った牛乳やチーズなどをあちらこちらに届けて廻るのがバロンの仕事なのです。あんまり重い荷車でしたから、幾ら急いでもすぐにバテてしまいます。ですから、同じペースでトコトコと歩いていく方が結局は早く目的地につけるのです。
「退いた!退いた!」
後ろから猛スピードで走ってくる蹄の音と共に大きな怒鳴り声が響きました。
 慌てて振り返ると同時に、煌びやかな馬車が颯爽とバロンの荷車を追い抜いていきます。
「僕もあんな風に格好良い馬車を颯爽と引いてみたいものだ」
バロンはその馬車が小さくなるまで眺めながら、ボツボツと荷車を引いていきました。
「まあ、どんなに煌びやかな馬車を引いたとしても、僕なんかだとちっとも似合わないし、颯爽と駆け抜けることも出来ないんだけど……、な。」
バロンは独り言を言いながら、マイペースで歩いていきます。
しばらく行くと、今度は、老婦人が少しばかりの荷物をもって歩いているのが見えました。
「お婆ちゃん。どこへ行くんだい」
バロンの主人が、その老婦人に声をかけました。
「同じ方向じゃないか。乗っていきなよ」
「すまないねえ。よろしく頼むよ」
バロンの主人は荷車から降りて、自分の代わりに老婦人を乗せてあげました。
「まあ、二人乗ってお前がバテると困るからな」
そういってご主人は、バロンのたてがみを撫でてくれました。
「ご主人が一緒に乗っても、僕はまったく問題ないんだけどな。……やっぱりうちの主人は、いつも優しいな」
やがて、途中の十字路で老婦人をおろして、目的の街に到着しました。
「よし!頑張って配達するぞ!」
バロンに聞かせるようにご主人は威勢のいい声をあげました。
「今日も、ごくろうさん」
バロンの主人が牛乳瓶の入った木箱を玄関先に置くと、戸口から出てきた奥さんが、そうねぎらってくれました。もちろん、ねぎらっている相手は、バロンではなく、バロンの主人ではありますが、バロンは、自分にも言ってくれているような気がして、嬉しく思いました。
 次のお宅は、お留守のようでした。いつもの場所に牛乳をおくと、バロンの主人は、玄関先の雑草を抜いて、バロンに与えました。決して主人の目的がバロンにおやつを与えるつもりでないことはバロンにもわかりましたが、この辺りは甘い野草が多いので、バロンは喜んで食べました。
 「来たよ!来たよ!やっときた。」
 小さな学校では、子供達が牛乳の届けられるのを今か今かと、待っています。そうしてバロンのご主人が、学校の棚の上に牛乳の箱を並べると、つぎつぎに牛乳瓶を食堂へと運んでいきます。
「いくら牛乳が楽しみだからって、ちょっとくらい僕らのことも楽しみにしてくれたらいいのにな」
バロンはそう思いながら、またゆっくりと荷車を進めました。
「今日も、暑いねえ。」
昼休みに声をかけてきたのは、相乗り馬車をひく老馬のホジーでした。これでも昔は、競走馬だったというのが、彼のいつもの自慢でした。が、体を壊してからは、ずっと相乗り馬車を引いているそうです。
「まあ、仕事にありつけただけでも、めっけものだよ。」
これも、ホジーの口癖でした。
「お前さんも、俺くらい、体が大きければ、相乗り馬車もひけただろうに。いつも大変だな。まあ、お前の荷車をひけるほどの奴なんて、俺の周りには殆どいないんだがな。」
バロンは力だけが唯一の自慢でしたから、そういわれると、少し面はゆい気がします。
でも、やはりもう少し大きければ、僕も格好良かったのにと、思わずにはいられないのでした。
昼休みが終わり、バロンはまた、残りの荷物を配達しています。
「遅かったじゃないか。いつもは午前中に届くはずだったのに。」
バロンは、このオバさんが大嫌いです。だっていつも理由をつけて、バロンの主人に文句をいってくるのですから。でも、バロンの主人は、すまなさそうな顔をして、
「今度からもっと早く届けます。」
と、ぺこぺこしながら謝っておりました。
その後も、いろんな人に御礼を言われたり、叱られたりしながら、主人とバロンは配達と続けましたが、おやつの時間までには、全部、配達することができました。
「バロン、今日もお疲れさん」
主人がたてがみを撫でてくれたので、バロンは牧場へと向きをかえました。
次の日もまた、バロンは主人と一緒に荷車を引いて、配達にでかけました。
暫くいくと、昨日、バロンたちの荷車を颯爽と追い抜いていった、あの煌びやかな馬車がとまっておりました。
「どうかしたのかい?」
バロンの主人が尋ねるまでもなく、小さな溝に片方の車輪がはまって動けないのでした。
主人はバロンから荷車をはずして、かわりにロープで脱輪した馬車をくくりつけました。それから自分は馬車を懸命に持ち上げながら、バロンに精一杯ひくようにと叫びました。
「ウーン、ウーン。」
バロンはうめき声をあげながら、精一杯に引っ張り続けました。
ゴロリ……。
しばらしくて馬車が動き出したあと、馬車の主人は、バロンの主人に御礼を言いました。バロンもなんだか、誇らしげな気持ちになって胸を張りました。
でも、そのあと、バロンは信じられない光景を見たのです。
なんと、馬車の主人が、鞭で馬を打ち付けたのです。それも血が出るくらいまで、何度も何度も……。
「お前たちが、ドジだからこんなことになるんだ。もし大事なお客様をお乗せしていたらどうするんだ。」
「ヒイーン!ヒイーン!」
馬の大きな悲鳴が響き渡ります。
今まで、あんなにも羨ましく思えていた馬が、あまりにも可哀想に思えてなりません。バロンは泣きそうになりました。
「いこう。」
主人の低い声に、バロンは足を進めました。
「今日は、早く届けてくれたのね」
何か、良いことでもあったのでしょうか。昨日、あんなに機嫌の悪かったオバさんが、今日は、バロンにまで「ごくろうさん」と言ってくれました。
「今朝、手紙が届いてね!夏休みに息子が帰ってくるみたいなの!」
でも、バロンの主人は長話に付き合わされたので、時間が気になって仕方がないようでした。
昼休みになると、また相乗り馬車の老馬、ホジーが声をかけてくれました。バロンは今朝の脱輪した馬車の話を聞かせました。
「まあ、ああいう格好良い馬車は仕方がないさ。ミスの許されない世界だからね。万が一大事なお客様を乗せていたりしたら、大変なことになるんだから。俺も競走馬だったころは、大変だった。勝ったときはいいけれど、負けたときは手のひらを返したように責められる。たとえ俺のミスじゃなくてもだ。だから、いつもピリピリしてた。まあ、きっとそう言う世界が苦手だったから、今、ここにいるのかもしれないな」
ホジーは遠くの景色を見るような目で、独り言でも呟くかのように、バロンに聞かせてくれたのでした。
 昼休みが終わって、いつもの学校へ向かいます。いつものように子供たちに囲まれて、そうしていつものように牧場へと歩き出しました。
でも、暫くして、いつもと違うことが起こりました。後ろから猛スピードで走ってきた馬車に追突されたのです。
バロンは、痛みをこらえながら、しばらくのバロンの主人と馬車の馭者が怒鳴り合うのを聞いていました。でもあまりの痛さに、何を言っているのかを聞く余裕すらありません。立っているのがやっとのことだったのです。
やがて、バロンは主人と一緒に牧場へ向かいました。バロンの引きずる前脚に気づいたのか、主人もバロンの肩を撫でながら歩いてくれました。
バロンは、馭者にむち打たれる馬たちの様子を気に掛けながらも、痛みを我慢してカックンカックンと歩いて行きました。
次の日から、バロンは牧場に行かなくなりました。主人がお医者さんを呼んでくれたので、前脚は添え木で固定してありますが、まだまだ歩くとズキズキ痛むのです。困り果てた主人は、いろいろと相談をして、隣の牧場から、新しいロバを借りてきました。まだ若いというより幼いという形容詞の似合うようなあどけない顔をしたロバでした。隣の牧場で生まれ育ち、今回初めて配達の仕事をするのだそうです。本当はもっと経験のあるロバがよかったのですが、他にいなかったのでした。
はじめの頃こそ、若いロバの心配をしていたバロンでしたが、やがて日がたつにつれて、自分の心配をするべきだということに気がついてきました。
ケガをして配達の出来ないロバなんて牧場に必要ないからです。今まで、あれほど優しかった主人の視線が心なしか冷たいように思われます。バロンに対して厳しい言葉をかけることもなければ、冷たい態度をするようなことはありません。でも主人がバロンよりも、あの若いロバに対して、優しい言葉をかけることが増えてきた気がするのでした。
「このままケガが治らなかったら、僕はいったいどうなるんだろう。いや、たとえケガが治ったとしても、僕はもう、この牧場に必要じゃなくなる……。」
バロンはじっとケガをした前脚を見つめました。
それから、何日も経過しました。前脚の痛みはなくなりましたが、主人がバロンを仕事に呼ぶことはありません。それどころか、あの若いロバが、今日はこんなことがあったとか、あんなことがあったとか、嬉しそうに話しかけてくるのです。バロンは、自分の代わりに働いてもらっているという気持ちがあるので、腹を立てるわけにもいきません。でも、どんどんと気持ちがふさがってきたのでした。
やがて、お医者さんに添え木をとってもらえるひがやってきました。バロンは荷車をひきたくて仕方がありません。牧場を歩いてみましたが、特に異常もなさそうです。
「これなら、大丈夫かも知れない。」
バロンは張り切って、
「ヒヒイーン!」
と声を上げました。
やはり主人もバロンのことを心配してくれていたのでしょうか。さっそく荷車のところまでバロンを連れてきてくれました。
でも……。
「あれ?荷車ってこんなに重たいものだったっけ?」
バロンがびっくりするほど、荷車が重く感じられました。
 それでもバロンは頑張って荷車を引いてみました。今までなら考えられなかったような汗が全身からあふれ出てきます。肩を上下に激しくゆらしながらゼイゼイとする呼吸がどんどんと荒くなっていきます。それでもバロンは頑張って荷車を引いていきました。
「バロン、もういいよ」
主人は優しくバロンの肩をたたきました。
次の日もやっぱり、バロンはお留守番でした。ただ脚が治ったので牧場の中を歩き回れるようになりました。塀の中にいるよりはずいぶんと気分がよくなりましたが、それでも寂しさは消えません。今頃はあいつも綺麗な馬車をみてうらやましがっているのかなと想像したり、主人と配達していた日のことを思い出したりしています。
何度もため息をつきながら、バロンはグルグルと牧場の中を何周も歩き回りました。
「もう一度、配達にいけるか、みてみようか」
主人にそう言われたのは、何日も何日も経ってからの日でありました。
バロンは、おそるおそる荷車を引いてみました。この前と違って、沢山の荷物が載っています。
「ぐーっ。ぐーっ。」
バロンは精一杯に荷車を引きました。でも、以前のように軽々と荷車を引くことができません。どうしても前足に思っている程の力が入らないのです。
ゆっくりと荷車は前へ進みましたが、バロンの全身から玉のような汗が噴き出して、意識が朦朧としてきます。なんと僅か数十メートルで脚が言うことを聞いてくれなくなりました。
「仕方がないか。」
主人は小さく呟きました。
実はバロンの主人も迷っていたのでした。若いロバを隣の牧場へ返す期限が迫っていたのです。もしバロンが荷車を引くことができなければ、若いロバを買い取らなくてはならないのでした。
「仕方がないか。」
という主人の呟きはつまり、バロンの仕事が無くなってしまったということなのです。
それからバロンは何もせず、ただ牧場でぼーっとする日々が続きました。
「いったい僕は何をしているんだろう」
 少し前までは、煌びやかな馬車にあこがれていたのに、いまでは荷車も引けないありさまです。
ただ、それでもバロンはまた荷車を引けることを祈って、黙々と牧場の中をグルグルと歩いていました。
やがて、バロンは牧場の人達から荷物を運ぶように頼まれるようになりました。荷車に比べると僅かばかりの荷物でしたが、バロンは用事を頼まれることが嬉しくて、精一杯に運びました。そして、少しずつではありますが、重い荷物も運べるようになっていったのでした。
でも、もう配達の仕事は若いロバがすることになっています。今では正式にこの牧場の配達屋さんで、バングという名前もつけてもらいました。バロンも、もう再び荷車をひくことはないと理解するようになっていました。
「バロン。久しぶりにお出かけしようか」
主人にそう言われたのは、もう何ヶ月も過ぎたある日のことです。
荷車は引いていませんでしたが、牧場の外に出るのは、あの事故の日以来のことです。まだ一年くらいしか経っていないのに、とても懐かしい景色に思えます。
バロンは歩くだけで涙が溢れてきました。そしていつもの道をあるいて着いた先は、配達で訪れていた、あの学校でした。
「バロン。久しぶり!」
「元気にしてた!」
子供達が集まってきて、一斉に声をかけてくれます。
バロンは驚きとうれしさで、全身が震えるのを感じました。
「ごめんよ、バロン」
主人は、悲しそうな顔でバロンに言いました。
「今日から、ここがお前の家だ」
今、バロンは、毎日小さな子供達を載せて通学のお手伝いをします。大きな子供は自分たちで歩いてくるので、それほど重くはありません。だから、今のバロンでも充分に働けるのです。
子供達に、「ありがとう!」と言われると、バロンは「ヒヒン!」と笑って返します。昼休みには、荷車の配達が板についてきた若いバングに牧場の様子を教えて貰うこともあるようです。でも、一番の楽しみは、様子を見に来てくれるバロンの主人に肩を撫でて貰うことかもしれません。

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