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魔法じじい(2)

事実の曲げ方

事実は簡単に曲げられる。スプーンを曲げるより簡単だ。

お金があるなら買収というのが便利な方法だ。ダメじじいに金があるわけがない。ダメじじいは寝まわしをする。だいたいの場合相手も相当の悪だから慎重にいかなくてはならない。

議論に勝つなんて言うのは魔法ではない。議論に負けて、相手が勝ったと思って油断するくらいの見えない技を使う。まさに魔法だ。鮮やかではいけない。目立ってしまう。

伝説の格闘技で7年殺しというのがある。7年後に相手が死ぬという技だ。エンターテイメントとしては「お前はすでに死んでいる」が面白いが、そんなに目立っては相手の反撃に会う。こちらは、ダメじじいだから反撃されたらころっと負けてしまう。

例えばこんな話だ。

自分は、出世も遅れ、先もない、年配の男性課長。上司に若い男性部長がいる。奥さんが専務の親戚という嘱望された部長だ。その部長は会社の中では勢いがある。自分に対しても、年下のくせに尊大な態度だ。いわゆるやな奴だ。

そのやな部長が、課内の若い女性と不倫関係にある。部長は、夫人と別れてその子と再婚すると言っていたようだ。ある時、その女性の様子がおかしい。聞いてみると、部長から別れ話を持ち出されたらしい。

許せん。

これで、夫人にばらすよと言って部長を脅すのは話がまっすぐすぎて面白くない。幹部との縁戚関係、尊大な態度などは、社内で反感を買っているはずだ。反対派に、情報を流す。多少事実じゃなくても。業者から接待漬けだ、付け届けを要求している、バックマージンを懐に入れいるくらいは言ってみよう。そうやって部長として仕事ができないように追い込んでいく。

メディアに流れる事件の内容はおおよそ事実ではない。私も体験したことがあるのでわかる。事実でないことも、事実を知らない人が見聞きすると、あたかも事実のように認識される。魔法だ。

事実でないことで苦しむ人は多い。魔法とはそういうものだ。使わなくていい魔法は使わない方がいい。

魔法は物語

魔法をどうしても使わなくてはならないときも使い方はじじいしだい。

娘なり、部署の若い女性也がいたとしよう。部長の遊びの不倫で捨てられそうだとしよう。ここでどういう魔法を使うかは状況しだい。

そいつがどのくらい悪い奴なのか、そいつが背負っているものがなんなのかで、物語は変わってくる。思いっきり懲らしめるなら、会社を追われ、奥さんと離婚、女性には慰謝料というところまでもっていくくだりが見える。

世の中面白いもので、一方的に悪いということはあまりない。話を分かりやすく善と悪に分けるのが勧善懲悪もの。そういうことはあまりない。ややこしいのが人間界だ。

ややこしい中で、どういう物語にするべきかはじじいの作家力にかかっている。その部長は恐妻家で、出来心での不倫だったかもしれないし、部署の女性の方にも匂わせの罪があったかもしれない。社内でじじいには尊大だが、若手の話はよく聞く実はいい役目を果たしていたかもしれない。じじいに対して尊大な態度というのは、ある面正しい態度ともいえる。じじいはだいたいにおいて役に立っていないのだから厳しくされて当然だ。

ちょうどいい魔法をかけることで、部長は家庭に戻り、社内で若手を良く面倒見るようになるかもしえない。傷ついた女性は慰謝料でマンションを買って悠々自適になるかもしれない。これすべてじじいの作家力しだい。

作家力で虚構を作り出すのがじじいのやることだ。虚構が事実を上書きしていくのが魔法だ。人間社会は魔法に満ちている。だから面白い。


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