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出産当日/40週

4/7(金)、40週と3日

ついにこの日が来た。

私が親になる日は、2023年4月7日だった。


出産記録

4月6日の出産前日は、特に何の兆候もなく過ごしていた。

夜22時にメルカリで出品していたブライダルインナーが売れた。

時間帯的にも梱包や発送を翌日にすることはできたけれど、いつ陣痛や破水が起こるか分からない状況のためその日のうちに発送を済ませることにした。

ここ数日は、「私に(今までと同じように過ごせる)明日は来ないかもしれない」という気持ちで過ごしていた。

まるで余命宣告された人の気分。

明日、人生が大きく変わるかもしれないと思いながら過ごす日々は何だかとても不思議だった。

結果的にメルカリの発送をその日のうちに済ませたことは大当たりで、その約4時間後の深夜3時頃におしるしと陣痛が起きた。

3:00
目が覚めてトイレに行った。
下着がちょっと湿っているなと思ったら、血が出ていた。
赤い血が混じったおりものもあった。
これは…おしるし…!
ついに来たか、と思いながら、とりあえずナプキンをつける。

3:17
陣痛かな?いや違うか?くらいの痛みを感じる。
胎動はやや弱めだけど感じる。
陣痛カウンターをつけ始めると、不規則ではあるが5〜8分くらいの間隔で陣痛らしき痛みが定期的に発生していた。

そこから1時間ちょっとカウンターをつけ続けた。
痛みも間隔もまばらだった。

5:00
旦那さんを起こして、おしるしがあったことと陣痛らしきものが起きていることを伝えた。
まだ前駆陣痛の可能性もあるなと思っていたから、何だか早朝に起こすのが申し訳なかった。
その後、産院に電話をして判断を仰ぐことにした。
まだ陣痛間隔が不規則なため様子見に。
元々その日の午前中に妊婦健診の予定だったため、そこで状況を診てもらうことになった。
この時点でも陣痛間隔は5〜10分。

6:20
旦那さんと一緒に朝食のバナナとヨーグルトを食べた。
旦那さんは朝のうちに仕事のタスクを処理してくれていたようで、その日は休みを取ってくれた。

7:30
9時半からの健診までソファでちょっと横になる。
7分間隔くらいで安定してきたかも?

8:45
早朝の時よりも痛みが強くなってきた。
痛みの波に耐えながらも少しソファで眠ることができた。

9:00
旦那さんと一緒に産院へ。
痛かったけど陣痛タクシーを呼ぶほどでもないし勿体無いしで、歩いて行った。
歩いている方が心なしか痛みが紛れるような気がした。
陣痛間隔5分くらい。
確実に短くなってきている。

9:30
旦那さんには一度帰宅してもらい、健診で入院が決まってから陣痛バッグや入院してバッグを持ってきてもらうことになった。
通常の健診と同じように受付を済ませ、最初に検尿をするとまた血が混じっていた。
ナプキンにもしっかりついている。

10:30
最後のエコー。
陣痛がきている件は情報連携されているようだったけど、どうやら頭はまだ下がってきていないらしい。
「頭はまだ下がってきていないね〜この子はまだ産まれたくないんだね〜」と連呼された。
産まれたくないと言われたことにイラッとし、うるせぇと心の中で吐き捨てた。
いつもはこんなことでイラッとしないし、こういう先生だって分かっていたのに、今思えばこの時すでに心の余裕がなくなっていたのかもしれない。

その後すぐに内診すると、子宮口はかなり柔らかく、4センチ開いていて胎胞も出てきていると言われた。
しかし、やはり赤ちゃんが下がってきていない。
いつ破水するか分からない状態で、破水してお産が進んだら早そうと言われ、「お、これは安産コースか?」と思い、少し嬉しくなる。

そして、そのまま入院することが決定した。
旦那さんへ連絡し、陣痛バッグと入院バッグを届けてもらうように連絡した。
家族や友達にも入院してこれから出産になることをLINEで伝えた。
PCR検査をすることになって、鼻の粘膜をぐりぐりされた。
これ立ち会いする旦那さんも鼻ぐりぐりされるのかな、痛いけど大丈夫かな申し訳ないな、などとこの時は思ったりしていたが、その後比にならないほど壮絶な痛みに襲われる我が身の心配をした方が良いよと、あの時の私に言ってあげたい。
しかも後日訊いたら旦那さん立ち会いの時PCR検査はなかったらしく、まじでいらん心配だったなと後から一人で笑ってしまった。

10:40
LDR室に入ってすぐにNSTをやった。
NSTが終わり、陣痛に備えてペットボトルのストローキャップやらテニスボールやらいろいろと手の届く範囲に配置した。
テニスボールは結局最後まで何の役にも立たなかった。
使い始めた時にはまだいきみたいと思う前で効果が実感できず、いきみたいと思い始めた時にはテニスボールでまたを押せるような余裕など皆無だった。

お昼ごはんまで、旦那さんが荷物と一緒に届けてくれたコンビニのおにぎりを食べた。

12:00
お昼ごはん。
入院最初の病院ごはんは、ハンバーガー。
病院でハンバーガーが出るのか!とびっくり。
トイレに行く余裕がなくなるかもしれないからあまり食べない方が良いのか?長引いた時に体力がなくなるかもしれないから食べた方が良いのか?と思いながら、全て完食した。

13:23
陣痛間隔は3~4分。
痛いけど合間でラインを返すくらいの余裕はまだある。
助産師さんがお産が進みやすいゆらゆら揺れるチェアや、アロマなどを出してくれた。
いずれも効果があったかは謎だけど、サポートしてくれて頑張って、と声をかけてくれること自体が励みになった。
痛みが継続する間しっかり呼吸することに集中して、フーフーと呼吸を繰り返す間の8回目くらいがピークであること、15回目には痛みが治まることが分かり、ピークと終わりを理解することで定期的に襲ってくる痛みを乗り越えた。

15:10
15時前で陣痛カウンターをつけるのをやめた。
最後の段階で2〜3分間隔。
助産師さんに内診してもらうと、子宮口は5~6センチになっていた。
進み方からすると、今日が誕生日になることはほぼ確定だから旦那さんに教えてあげて、と言われた。
陣痛開始から考えると、一般的な時間で18〜20時くらいには産まれそうとのこと。
それらの情報を旦那さんへLINEした。
もう絵文字をつける余裕はなかった。

16:11
旦那さんに最後のLINEをした。
その後、もうスマホをいじる余裕も出産のログを残す余裕もなくなった。

何時になったか、おそらく夕方頃、再度内診するが子宮口6センチ。
前回から進んでおらず絶望。
そこから時間が経って再度内診してやっと8センチ。
しかし8センチから全開までに進まない。
どこかのタイミングで助産師さんに右半身を下にした方が赤ちゃんが回転しやすい位置にいると言われ、そのように体勢を変えると痛みが格段に増した。
それまで陣痛の間にあった、痛みのない時間という名の希望がそこからほぼなくなった。
そしてそこか突然いきみたい間隔に襲われ始めた。
しかし、いきみ逃しが絶望的にできない。
どう頑張ってもいきんでしまう。
痛みの波がくる度に助産師さんがお尻を押してくれるが全く効果がない。
いきんでしまっているせいで、頭は下がってくるが子宮口がくっついてしまって開かない、というようなことを説明された。
さらに、子宮口が浮腫んでしまっていると言われた。
そうか、いきみ逃しできなければこの状況から解放されないのか、と頭では理解するが実行できない。
八方塞がりの状況に何度も絶望し、殺してくれた方が楽だとさえ思う。

叫びすぎて喉も乾くがペットボトルに手を伸ばす余裕もなく、水を取ってと言うこともできず、水分がどんどん奪われていったのも地味に地獄のように感じた。

どこのタイミングだったか、いきんだ時に破水した。
お腹の中に相当分厚いゴム風船があり、それが割れた感覚。
ドュルン、という表現がぴったりだった。
大量の水が股から流れてきた。
あ、まだ破水してなかったのか、とその時初めて気づいた。
延々と繰り返して続く痛みの時間から、何かしら一つ進展したことが嬉しかった。
もしかしたらここから進むかもしれない、解放されるかもしれないと思った。

助産師さんだったか、お医者さんだったか、「今、『痛い』の次にどんな気持ちがくる?」と訊かれ、それまで全く喋れず叫ぶだけしかできなかったが、最後の力を振り絞って「心が折れそうです」と伝えた。

多分そこからだと思う。
分娩の準備が急激に始まった。
子宮口は未だ全開にはなっていないが、こじ開けて手を突っ込んで赤ちゃんの引っかかりを解消する。
そこからタイミングを合わせていきむように指示を受ける。
何度も、全身に力を入れて指示を受けたタイミングで全力でいきむ。
こじ開けている時、子宮口が裂けている感覚が分かった。
自分の皮膚が麻酔なしに裂けているのに、それを上回る痛みが同時にきて、その先に解放が待っているとなると、人は皮膚が裂ける痛みを乗り越えることができるらしい。

いろんな痛みで体力も精神も限界だった。
しっかり長く呼吸することができずに酸素マスクがつけられる。
今すぐお腹を切って赤ちゃんを取り出してくれと思いながら、頭の隅っこでこの経験のあと二人目を望むとか私にできるかな、とどこか冷静にこの先の未来のことを考えたりもしていた。

20:43
旦那さんを呼ぶように指示を受ける。
無言で電話をかける操作だけして、助産師さんが旦那さんに状況を説明してすぐに来てくれと伝えてくれた。
話している後ろで私の叫び声が聞こえていたらしい。

おそらく21時くらいに旦那さんが到着した。
旦那さんが到着したということは、もうすぐゴールだ。もう産まれるはずだ。もうちょっと頑張れば終わりだ。
いきむ時に足が攣りそうになったり、背中を痛めそうになって全力が出せない。
だけど頑張れば1秒でも早くこの状況から解放されることができると思い、全力で力を振り絞った。

21:14
赤ちゃんが産まれた。
自分の足元にいる赤ちゃんの姿はまだ見えなかったが、産まれたことを伝えてもらった瞬間、涙が出た。
我が子が産まれたことへの感動ではない、痛みから解放されたことへの涙だったことの自覚があった。
赤ちゃん泣き声がすぐに聞こえた。
お腹の上のあたりで助産師さんが赤ちゃんを抱えてくれ、頬を少し触った。
その後すぐに隣の部屋に連れていかれてしまった。
子宮口から出る時に 、少し苦しくなってしまっていたらしい。
上手にいきみ逃しできず、我が子を苦しませてしまったことが悲しく、悔しかった。

赤ちゃんを待ちながら、子宮口を縫ってもらった。切開はしておらず、深く裂けていた。だいぶ深かったのか、処置の時間は長く感じた。
縫う時には麻酔をしてくれた。
なんで処置の時には麻酔をしてくれるのに、裂けたり切開する時には無麻酔が大前提なんだろう。

しばらく放心状態だった。
疲労と眠気がすごかった。
しばらくすると赤ちゃんが戻って来て、左肩に抱かせてもらえた。
旦那さんと二人で赤ちゃんを眺めながら、写真や動画を撮った。
すぐ横に我が子がいるが、自分の中から出てきた感覚がまだ薄く、ふわふわしていた。


分娩所要時間は、自宅で陣痛が発生した深夜3時から約18時間。
本陣痛がいつからかは覚えていないが、正気を失うほどの痛みに襲われてからは、おそらく5時間くらい。
破水からは1時間超くらい。

壮絶でトラウマ級の出産体験だったけど、特別に難産というわけでもなく、多分これが一般的な出産だったんだろうと、今は思う。

それでもやっぱり私にとって出産は恐怖体験だった。
普通分娩ならば二人目を望むのを躊躇ってしまうくらい、同じ痛みを経験するのは怖い。

出産は個人差があるから、痛みの強さや感じ方も人によって違うというけれど、私の場合痛みが強かったのだろうか、私が痛みに弱かったのだろうか。

どちらにしても我が子の誕生の感動を味わうには恐怖体験の余韻が凄まじすぎて、産後も母性が遠慮がちにしか出てこない始末だ。

今はまだ頭の中がふわふわしていて、目の前の産後の痛みに気持ちが向いてしまっているけれど、日々この後遺症の痛みが引いていく度にグラデーションのように母性がふんわりと顔を出してくるといいなと思う。

自分はいきなり母性が爆発するタイプではないんだな、ちょっと意外だな、とか何だか人ごとのように感じているけど、それも私らしいっちゃ私らしい。

いろんなこと器用にはできないけど、ゆっくりしっかりと母親になっていこう。

私、お疲れさま。
赤ちゃん、これからよろしくね。
旦那さん、これからもよろしくね。

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