痛みの記憶/生後0ヶ月の記録

1ヶ月健診が無事に終わった。

生後4週を過ぎた頃からだろうか、かなり気持ちと身体が落ち着いてきた。

授乳の夜間対応も旦那さんと分担しながらだとかなり楽になるし、赤ちゃんが好きなこと、嫌なことが少しずつ、ほんの少しずつだけど分かるようになってきた。

そして泣いていても、泣いている理由が分からなくても、そんなに焦らなくていい。不安にならなくていい。
そういう気持ちのゆとりを持つことができるようになってきた。

そのおかげか、生後1ヶ月が経った頃、赤ちゃんの横で寝そべりながらすやすやと眠る寝顔を見ていた時に、ふいに気づいてしまった。

いつの間にか出産の痛みを思い出せなくなっている。

あの時の痛みを、もうほとんど忘れてしまっている。
あんなに忘れてなるものかと思った、あの人生最大の、拷問のような痛みが、どんな痛みだったか思い出すことができない。

トラウマ級の恐怖だったこと、もう二度と経験したくはないこと、そういう感情を確かに抱いたことはしっかり覚えているが、痛みの種類や大きさ、リアルな感覚が、確実に薄れてしまっている。

それに気づいた時、すごくすごく悲しくて、とてつもなく寂しい気持ちになった。

痛みを忘れることが、この子を産み落とした時の、あの出会いの記憶が薄れていることであるような気がしてしまう。

辛くて怖くてしんどくて、だけどその先に待っていた我が子の誕生。
この痛みと出会いは、私にとってはセットの記憶で、少なくとも今はまだあの日のことはその痛みや辛さも含めてどの瞬間も忘れたくはなかった。

だけど、この先毎日を慌ただしく過ごしていくにつれて、きっともっともっと記憶は薄くなっていく。

赤ちゃんの産まれた時の顔も、声も、仕草も、今まさに知ったもののはずなのに、いつの間にか過去のものになっていってしまう。

そう思うと今この瞬間の赤ちゃんがよりかけがえのないものに感じて、できるだけずっとそばにいて見守っていたいという気持ちが強くなった。

これが母性か。

よかった。私にも母性、ちゃんとあった。

1秒で多くこの子との記憶を頭に刻めるように、明日もたくさん一緒にいよう。

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