見出し画像

強さと弱さ / #教養のエチュード賞

誤解を恐れずに思うことを書いてみようと思う。

ここ数日間、私はあることについて考えている。

人間の「強さ」とは。そして「弱さ」とは。

私はよくここnoteやTwitterで「私は強い」という内容の記事を書いたり呟いたりする。それが良いとか悪いとか結論付けたことは一度もなく、ただ単に自分の気質や性格を書いているだけのことだ。

その気質、性格がもたらすあらゆる出来事を「こんなことがありました」とその時に得た教訓や気付きを交えながら書いたりする。

先日もいつもと同じように自分の性格について呟いた。すると、ホロ酔い気分でさあそろそろ寝床につくかというタイミングで、まるで暗闇の道中の辻斬りが如く、鋭いリプが飛んできた。

私の呟きを読んで「精神の強い弱いでマウントを取ることがそんなに爽快ですか」と。そして、「自分は気の弱い人間だ。ブロックしてフォローを外してもらってかまわない」と書いてあった。もちろんそんなことはしない。その人の記事を今まで通りこれからも読みたいと思う。

しかし驚愕だった。そうか。そう取られたか。

私は本来、その気の強さゆえ「売られた喧嘩は買う」主義だが、それもとうに昔の若い頃の話。以前なら今回のようなことがあると秒で反撃し、直後に相手をブロックしていた。しかし年月という荒波にのまれ、世間という厳しい風雨に晒されるうちにあちこちの尖った角がいつの間にかまあるく削られ、今となっては誰が何を言おうが大抵のことは意に介さず「そういう意見もあるよね」と人それぞれの思考を尊重する平和主義者だ。

話を戻すが、先ほどの私の呟きにはいくつものイイネ❤️と共感のリプが何人からもあったので、まさかこんな風な「怒りリプ」が就寝前に飛んでくるとは思いもよらなかった。

私はその意見に関しては冷静に読み解き、特に腹が立つことは無かったが、一つとても不可解で腑に落ちないことがあったのでそれに関してのみ相手にお応えした。何故私の感情を、さもそれと決めつけて書くことがあなたにできるのか、ということ。「爽快だ」という言葉を書いてもいない私がまるで心の中ではそう感じていると断定して書くことに何の躊躇もないのだろうか。

すると「感情なんて当然わかりません」とリプが来た。

分からないのに何故書くの?そんな恐ろしいことがよくできるな、と驚いた。

「あなたは今こう思っていた」と他人が断言できるはずがない。

そんなことは私には絶対に出来ない。他人の感情を寸分の狂いもなく憶測で他者に伝えるなど、エスパーか恐山のイタコくらいしか不可能だろう。(それだって誰も正解だとは証明はできない)


「気が強い」とはそもそもどういうことか。そしてそれは良いことなのか。また「気が弱い」とはどういうことか。それは悪いことなのか。


私は自分の性格を「気が強い」と思う。なぜそう思うのかというと、他者と比べているわけではなく生まれてから今までの私の人生で経験してきた様々なアクシデントや困難に対して「折れる」ということを可能な限り拒否し、絶対に克服するぞ、という気概で対処してきたことが多いからだ。例えば幼い頃の記憶を辿ると思い出すのが怪我をしたときのこと。私はたぶん痛みに強い。痛いのだけれどそれを口に出したり顔に出したりすることを極端に嫌う。怪我をして流血した手を誰にも見せたくなくて、隠しながら平気な顔を装っていたのは小学5年生の頃だ。痛そうな顔もしたくない。何故かは分からない。自分の苦しい感情や状況を「他人に見せたくない」という思いのほうが「痛くて堪らない」という思いよりも勝るからだろう。それしか分からない。心配されたり驚かれたりするのが嫌なのだ。自分ごときの事で他人を振り回したくない。それは裏を返せば「他人に振り回されたくない」という感情がそうさせるのかもしれない。

ある時は体調不良で気分が悪くて倒れそうになったが「ぜっっったいに倒れてなるものか」というワケの分からん意地で冷や汗をかきながら踏ん張ったことも鮮明に覚えている。たしかあれも小学生だった。

しかしながらそんな自分を当時は一度も「私は気が強い」と思ったことはなかった。気付きもしなかったし言われたこともなかった。そりゃあそうだ。しんどくても痛くても、誰にも気付かれないように無駄で不要な一人芝居をしてやり過ごしていたのだから。

しかも親きょうだいからは「あんたはきょうだいのなかで一番甘えん坊だ」と言われていた。だから自分で「あかんたれの甘えん坊」だと思い込んでいた。私は4人きょうだいの上から3番目。姉が二人いて弟がいる。真ん中ではあるが三姉妹の末っ子。同居していた父方のじいちゃんばあちゃん始め、親戚や両親や姉たちからもいつも可愛がられていた。だから余計に言われるがまま「あかんたれの甘えん坊」だと刷り込まれてきた。

それがどうだろう。社会に出て様々な人とのかかわり合いの中で「強いよね」と言われることが何度もあった。全く自覚もなくそう言われることに対してとても違和感があった。何を以て「強い」と見られるのか。

子供の頃から確かに身体的苦痛に対しては強かったのかもしれない。我慢することが人より沢山出来るのだとしたらそこから来る精神的な強さが私の中の芯の部分を少しずつ太く折れないものにしていったと言えるのかも。

しかしそれは他人に向ける攻撃としての力強さではなく、あくまでも自分の中でのこと。他からのあらゆるストレスに揺さぶられない心の有り様のこと。そして当たり前だがその「強さ」を他人にも同じレベルで要求してはいけないし自分の尺度で押し付けてはいけないと思っている。「そんなことぐらい平気でしょ?」なんて思っていないし勿論だが強要もしない。それぞれの価値観を尊重し、それぞれを認め合うべきだと思っている。


私は気が強いと自覚するが、別に他人にも自分にも厳しいわけではないし(と思い込んでいるだけかもしれないが)いつでも戦闘態勢でいるわけでもない。年をとってかなり丸くなったこともあるけれど、なるべくたくさんの人たちと仲良くしたいし優しくありたいと常々思っている。つい先日もそのような内容のnoteを書いたばかりだ。


話は変わるが、私は母方の九州の祖母に性格が似ているらしい。祖母に育てられた母が言うのだから間違いないだろう。小学生の間は毎年長い夏休みを大分の母の実家で過ごした。小さい頃の僅かな記憶を辿って覚えている祖母は、いつも機嫌よく穏やかで明るいばあちゃんだったこと。何でもチャッチャとやって、とにかく手早い。料理もお菓子も「食べるかい?」と聞いたが早いか15分もすれば出てくる。そこんところは確かに似ている。要するにせっかちなのだ。そしてなにが起こっても「まあ、仕方ないよね」とやり過ごす。騒がないし驚かない。いつも平常心で声を荒げたところを見たことがない。これも結構似ているかもしれない。肝が座っていると人からよく言われる。若い頃は「いつも冷めてるよね」と言われたけれど。

そんな祖母の存在は、私にとっては「少し離れたところから付かず離れずでいつも見ていてくれる頼りになる人」という印象だった。孫に接するというよりもう少し距離があり、ニコニコしながら遠くから様子を伺っていていざという時サッと手を差し伸べてくれるような。そこにいると確認するだけで安心していられるような人だった。よく考えてみるとばあちゃん自身のことは何一つばあちゃんの口から聞いたことがない。いつも母からそのエピソードを聞いてきた。

一番印象的な話をしよう。

ばあちゃんの人生の最期の時。入退院を繰り返していたばあちゃんはその時が近づいていることは自身がとっくのとうにわかっていたのだろう。結局は病院で息を引き取ったのだが、その何日か前から自らの意思で一切の食事を絶った。「もう充分生きたからこれで終わりにします」とでも言うような最期だった。そのあと家族が家に帰ってばあちゃんの部屋で見たものは…。いかにもばあちゃんらしいと皆で唸ったという。

箪笥の中、押し入れの中、どこを開けてもスッカラカンで、ばあちゃんの持ち物はほとんど残ってなかった。一体いつの間に処分していたのか、家族は誰も気付かなかったらしい。唯一、和ダンスの引き出しにあったものは自分自身が冥途への旅立ちに着るための白装束だった。

何と言う潔さ。私は涙が出る前に感動で震えた。そして非常に共感した。私もこんなふうにして人生の最期を迎えたいと切に願った。そしてばあちゃんは本当に強い人だと思った。そして優しい人だと思った。

人に優しくあるためにはどうすればいいか。いつも私は考える。穏やかに、落ち着いて、迷惑をかけず、覚悟を決めて生きる。何も持って生まれてこなかった私たちは何も持たずに帰る。思いも、荷物も、何もか捨てて無になって帰る。そう考えると拘りや怒りは無駄なことだと自然と思えるようになった。

強さは自分が真っ直ぐ立つために。弱さは人に優しくあるために。自分の中にある相反する部分を認め、どう生きたいかを考える。強さと弱さは良い悪いではないし、どちらか一方しかないわけでもない。批判やマウントの対象でもないことは言わずもがな。


あなたはその強さと弱さを持って、どんなふうに生きてどんなふうに帰りたいですか?


最後に私の心情にピタッと寄り添う、この記事を書こうと思うきっかけになった曲をここに置いておきます。よろしければ聴いてみてください。



・・・・・・・・・・・


*嶋津亮太さんの #教養のエチュード賞  に参加します。










この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?