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あなたの中にいる5歳のあなたを抱きしめる

結婚生活を解消し、2歳のあなたを連れて実家の近くにアパートを借りて、シングル生活を始めたのは今から30年前のこと。27歳だった私は、ただただ将来が不安で、一人娘のあなたをこの先に待ち受ける長い人生、たった一人で育てていく自信はありませんでした。若かったせいもあり、自分自身の人生をもう一度やり直すことの方が一生懸命で、自分の人生の中心は私自身でした。

30歳で再婚した時、あなたは4歳でした。
それまでの2年間で少しずつ新しい父親に順応していったあなた。いつまでたってもおねしょの癖が直らないあなたを深く理解することができるほどに私は大人ではありませんでした。今から考えると、言葉にできないストレスをいろんなサインで私に知らせようとしていたのかもしれません。

31歳であなたの弟を産んだ時、あなたは5歳でした。まだまだ甘えたいはずなのに、新しく加わった家族をまるで私と同じ目線でお母さんのように優しく包み込み、私と一緒に子育てしてくれました。たった一度も駄々をこねたり、赤ちゃん返りすることもなく、ひたすら優しく、あたたかく、私と同じ目線で自分の弟を見守ってくれました。

出産の為、あなたと一緒に実家に里帰りしていた時のこと。二階の部屋で私と赤ちゃんがお昼寝しているところへ、足音を立てないようにそおっとそおっと階段を上がってきて、私たちが寝ている部屋のドアを音を立てないようにそっと、5センチほど開けて部屋の中を伺ったあなた。
私は子供を産んで間もない母親特有の、神経が非常に過敏になっている時期でした。ちょっとしたことにイライラし、気持ちが殺気立っていました。
ドアの隙間から覗き見るあなたを「今寝たところだから、あっちへいってて」と少し厳しい表情で追い返そうとしました。あの時のあなたの悲しそうな顔を今でもはっきりと覚えています。あなたはそっとドアを閉めて、また足音を立てないように階段を降りて行きました。

しまった。かわいそうなことをした。そう思ったけれど、産後のしんどい身体の自分と、生まれたばかりの赤ちゃんのことで頭がいっぱいで、あなたを思いやる余裕が全くありませんでした。あれからあの時の悲しそうな顔を何度も思い出すたび、私は自分が母親失格だと何度も後悔するのです。まるで昨日のことのように25年経った今でも。

小学校の頃のあなたは、新しい父親の言うことにとにかく忠実に、そして周りの親戚や大人たちに異常に気を遣う性格に、母親として時々胸が痛くなるほどでした。しかしあれは、あなたなりの処世術だったのですよね。幼い記憶は曖昧で、実の父親と思い込んではいたけれど、違和感のある何かがあなたの中にはずっとありましたね。父方の親戚には特に気を遣っているのが痛々しく、そんなにいい子じゃなくていいのよ、と周りの大人たちが声をかけると、あなたはきょとんとしていましたね。いい子でいることがデフォルトのあなたにとって、それは生きるための術であり、子供なりの精一杯の防御だったのです。
それを私は少し後ろめたく思いながらも、再婚先の親戚に対していい子でいてくれるあなたに安堵し、少しでもあなたが心地よくいられるように勤めていました。本当はもっともっと抱き締めて、褒めて、かわいがりたかったけれど、過保護にするなと厳しく光る夫の目を気にして、夫の前ではクールに接していました。その反動であなたと二人きりの時だけは、私なりの愛情表現をするようにしていました。それでも全然足りなかったけれど。

思春期に入ると、あなたは自室に籠るようになりました。特に父親が在宅中はほとんど自室で本を読んでいましたね。とても孤独だったんじゃないかと思っていました。元々、家族団欒のような楽しい会話はあまりない家庭でしたけれど、自室に籠ることであなたは自身を守っていたのでしょう。
でもそれは私の勝手な思い込みだったというのは、あなたから後で聞いた話で分かりました。ひとりで本の世界にどっぷりと浸ることで、現実から逃避していたのですよね。本を読んでいるときだけはとても自由で、自分らしくいられた。と後々あなたから聞いて、一人で部屋にいる時間、寂しい思いをしていたのではなかったのだと少しだけ肩の荷が降りたのでした。

紆余曲折あり、私とあなたと弟の三人家族になって、早13年目になりました。あっという間でしたけれど、とても長い日々だったとも言えます。

あなたも私も離婚後のPTSDに悩まされた時期もありました。でもいつも一緒に苦難を乗り越えてきましたね。

二度目の離婚をしてから私は、積極的にあなたとスキンシップをとることを始めました。いつもハグをして、「ありがとう」や「大好きだよ」と自分の気持ちを言葉にして伝えてきました。
あなたは時々、まるで幼児のように「ママ、抱っこして」とハグを求めてきます。その時あなたは、あの時のあなたに戻っています。弟が生まれて、本当は寂しくて甘えたかったのにそんな素振りは全く見せず、私の隣で私と同じ方向を見つめ、母の目線で弟をかわいがってくれたあなた。本当は私の正面に立ち、私に向かって「ママ、こっちを見て!私をかわいがって!抱き締めて!」と言いたかったのでしょう?だから今でも、その時の想いを胸に抱き続け、あの時言えなかった言葉を声に出し、身体全体で表現してくるのだと思います。その時のあなたは5歳の顔をしています。私の肩に自分の頭をコトンと預け、小さな子供がお母さんに抱っこされるように、全身をピタリとくっつけて両腕を私の身体に巻き付けてきます。

「ママ、抱っこして」と甘えてくるあなたを両腕に包み込み、背中をゆっくりさすり、とんとんし、「よしよし、いい子だね。かわいいね」と言葉をかけながら5歳のあなたごと、ゆらゆらと身体を揺らしながらあやします。

あなたは心底安心したように目を閉じ、くぅんと子犬のような声を出して甘えてきます。そこにいるのは紛れもなく5歳のあなたです。あの時甘えられなかった分、目一杯甘えてきます。それが私にはとても嬉しいのです。過去に遡って5歳のあなたを可愛がらせてもらえているのです。その度、ごめんね、ごめんねと心の中で何度も謝ります。謝りながら、ありがとうと感謝します。ごめんね、そしてありがとう、と心の中で唱えながら、過去の自分の間違いや過ちを悔い、今の幸せと愛情を、今現在のあなたと、あなたの中にいる5歳のあなたに伝わるように全身全霊で抱きしめます。

普段は正義感の強い、そして負けん気の強いあなたですが、これからも私の前でだけは、素直に自分の気持ちを曝け出してくださいね。なんでも許される場所として、私はあなたの為にこの世に存在しています。それだけは信じて、そして安心してくださいね。この先一生、あなたの安全地帯でいることをここに約束しますから。

いつでも5歳に戻れる場所として。これからもずっと。


#創作大賞 #エッセイ部門 #娘への手紙

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