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母親失格

とてもとても悲しい気持ちになった。

できることならいますぐパリまで飛んでいって辻氏を抱きしめて一緒に泣きたい気持ちでいる。

あと半年ほどで成人(フランスは18歳)を迎えようとする息子さんは現在17歳。そう、もうすぐ立派な大人の男性だ。よくここまで立派に育てられましたね、と辻さんにねぎらいの言葉を贈りたい。


なのに。なのにだ。ここへ来て昨日息子さんと言い合いになり、自らの子育てが「失敗だった」と今日の日記に書かれた。なんということだ。一体何があったのだ。息子さんから受けた詳しい言葉は書かれていないからなんともフォローのしようがないのだが、きっとものすごく辛辣でロジカルで最終的には何も言い返せないような決定打を受けられて相当なダメージを食らったのだろうと推測する。

悲しい。とてもとても悲しい。

何が悲しいかって、これまで17年間、無我夢中で必死で一人で育ててきた自分の子供から否定的な言葉でそのやり方を拒否られたのだから。この世界に存在する人類の中で唯一無二の存在である一番愛する息子に、だ。それって人格否定と同義と受け取っても仕方ないと思う。存在全てを否定されたような気分。今まで毎日毎日息子の健康と健やかな精神を守るためだけに生きてきたし頑張ってきたはずなのに、その全ては間違いだらけだったのだと結論付けなければいけないほどのダメージ。

悲しい、悲し過ぎる。何のために自分はここまでこんなにしんどい思いをしながら頑張ってきたのだろう。一体何のために。誰のために。

きっと息子さんはこれまで彼なりに親でさえも想像がつかない苦労や心労があったに違いない。フランスで生まれ育った彼は純日本人の父親の思考とはズレがあっても仕方ない。それは親でさえも想像がつかない領域なのだ。

そう、親子であっても一人の人間と人間の関係性。決して同じ思いを共有しているとは限らない。ましてや国籍が違う。思考の相違は致し方ない。だけれど、ここへきて、何故彼は父親に対して爆発したのか。そこには必ず理由があるはずだ。

小さな子供の頃から積もりに積もった小さな小さな不満や違和の蓄積か。きっとその幼い小さな胸に閉じ込めてきた羽根のような薄い薄い「思考の差異」がもうすぐ大人になる段階に来ている一人の人間として心の中に留めて置けなくなったのではないかと想像する。このままそれを父親に対して表明しないでいることはきっと彼にとっては「自分の人生」を生きる上でそれを放置したままでは進めなかったのではないかと。


だから私はとても悲しいけれど、今ここで辻氏は子育てを終了させることが必要なのではないかと思うのだ。悲しいけれど。

子育ては難しい。良かれと思ってやってきたことばかりだからまさかそれが子供にとって負担や不満や反感となって否定されるなんて想像もしていない。だって自分は良かれと思っているんだから。当たり前のこととして子供のためを思ってしてきたことなのだから。

しかし子供にとってそうは思われていない場合、子供が親にそれを意思表示した時はそれが「親離れ、子離れの時」と捉えてそれぞれの生き方をそれぞれの目指す方に向かって歩んでいくことが望ましいのだろうと思う。


私もかつて同じような思いをしたことがある。離婚して2年ほど経った頃。息子の口から信じられない言葉を聞いた。それは私が良かれと思ってやったことが息子にとっては真逆の、心を痛めることだったと知った。あぁ、なんて私はダメな母親なんだ。母親失格だ。そう思った。それからは決して自分の都合で「良かれ」と思うことをやめる事にした。

あの時のようなショックを、今辻さんは受けておられるのでないかと想像するといてもたってもいられなくなってしまった。こんな文章を書いたところで何の慰めにもならないことは分かっているのだけれど。同じ痛みを経験したひとり親として、これだけは言わせていただきたい。

これまで一途に頑張ってきたことは決して間違いではないと思う。違う思考を待たれたことは子供が成長した証だと受け取って、喜ばしいことと捉えてほしい。

珍しく感情的に書いてしまったけれど、あまりにも辻さんの悲しみが胸に迫ってきてしまってダメだった。

明日も辻さんの日記が更新されるだろうけれど、気持ちが前を向いていることを祈る。がんばれ父ちゃん。

#子育て #一人親 #子離れ #辻仁成 #滞仏日記

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