見出し画像

人間って愛しいな ~#ひかむろ賞 愛の漣~

人との関わりはSNSの世界が始まってから飛躍的に複雑かつ多彩になった。

生まれてから死ぬまで、知り合う人間の数の多さはそれがあるか無いかでは桁違いに違ってくる。

もちろん、毎日顔を合わせて挨拶したり話をしたりする身近な人々との関わりは自分のその日のコンディションに大いに関係してくるので影響はある。

でも、自分の深層の部分での影響となるとどうだろう。普段顔を合わせている職場の人達やご近所さん、「顔見知り」というレベルの人達から受ける影響はよくよく考えるとどうということはない。それは関わるレベルが多分自分の心の表層の部分で、その場所から少しでも離れるとその影響によっていつまでも振り回されたりはしない。私の場合は。

一方このnoteを始め、SNSで繋がっている人達との影響はどうだろう。特にnoteでは他ではなかなか出せない自分のリアルな内側を吐き出すことで自己表現している人がたくさんいるように思う。それゆえに同じ思考や価値観に共鳴し、深く心に響き合う関係性が生まれることがある。とても奇跡的だけれど当たり前のような気もする。

例えば普段忙しく生活しているなかで、「そこまで自分をさらけ出していいのか」という思いで、人との距離感を調整していることってないだろうか?

じっくりと話し合う時間がなかったり、職場などで顔を合わせることが多ければ多いほど、深く関わりすぎないことで「滞りなく事を運ぶ」ということに重要性を感じる場合、サラッとした付き合い、スマートな関係に留めておくことも大切なのだと思う。大人として、ストレスなく日々を過ごす為に。

だから、尚更、私はここnoteでは書き手に深く思いを巡らせることがある。人としての存在意義にも関わる「自己肯定感」や自分自身のアイデンティティを大切にする思いが強くなればなるほど、共鳴する記事に出会ったときにその書き手に対する愛しい想いはより一層深く尊いものになる。

一生懸命に生きてるんだな…。

しんどい思いをいてるんだろうな…。

辛くて悲しいんだろうな…。

読んでいて身につまされたり心配したり、それは自分にも当てはまることだと余計に他人事にはできなくなってしまう。

人はそれぞれに悩み、苦しみ、理想の自分になろうともがきながら必死に生きている。それゆえ愛しく、健気に感じられその文章を読んだ時に大きく心を揺さぶられる。

顔を合わせたこともない、声を聞いたこともない人でも、その心の深層の一番柔らかい部分に触れてしまうと、人は強く心を動かされるのだろう。お互いに影響しあって、感謝しあって、支えあって、慈しみあって。

人間は愛しい。出会えたそれぞれの思いを、今日も手の中に大切にすくいあげよう。

……

光室あゆみさん「ひかりのいしむろ」~#ひかむろ賞愛の漣~企画に参加させて頂きました。

石と言葉の #ひかむろ賞愛の漣 (さざなみ) 開催のお知らせ|光室あゆみ(ひかりのいしむろ) @AyumiHaraguchi #note https://note.com/shiki_haraguchi/n/nf2f5c240e94e

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?