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『小さな家の思想―方丈記を建築で読み解く』文春新書を出して④長尾重武

私たちは、文藝関係の同人誌・第4次『同時代』を出しています。歴史ある雑誌ですが、今はコロナ禍で、同人会義も開催できずに、ネットで情報交換しながら、年2冊で、今度6号を刊行します。同人の一人。鈴木稔さんから、7月13日に、本書について興味深い感想文をいただきました。

本のタイトルと内容ー・読みおわって真っ先に想ったのは、「小さな家の思想――方丈記を建築で読み解く」という表題が、本の内容と寸分の狂いもなく一致しているということでした。表題が内容をぴたりと言いあてている例は、いくらでもありそうで、意外に少ないのではありませんか。表題で掲げた目標を、見事に達成しているということですね。

堀田善衛の『方丈記私記』ー・導入部で、堀田善衛の『方丈記私記』にひさびさに再会しました。強烈なインパクトをもつ作品ですね。古典は、ちんまりしたお勉強などではなく、こういうふうにグイグイと自分に引きつけて読めるんだと教えられた覚えがあります。中味はほとんど記憶から抜け落ちてしまいましたが、大空襲後の天皇の焦土視察、ピカピカの長靴、土下座してすすり泣きしながら天皇に詫びる人々、といった光景が切れ切れに残っています。再読したくなりました。

長尾も、この部分に衝撃を受けました。翌実の新聞に、「天皇陛下がみそなわせたまえり」と漢字で書かれていたそうですが、一目で意味が分からなかった、と書いてあったのが印象的でした。

方丈庵の復原図ー・方丈庵の復元図というのが面白いですね。古典文学者の校注本に掲載されたものと、長尾さん作画のものとはだいぶ様子が違います。いちばん違うのは、炉ですね。冬の寒さはどうするのだろうと心配していたのですが、なるほど炉があるのなら何としのげるのか、と思いました。でも、やはり透き間風にはまいったのではないでしょうか。
 ・飲み食いはどうしていたのだろうかも気になりました。水だけは筧で山から引いてきて貯めて使うことが作画からわかりますが、食事の方はどうしていたのだろう、やはり自炊なんだろうな、と読み進めていくと、ちゃんと言及がありました。簡単な煮炊きは炉で、飯は竈があって炊けたはずだ、とあります。あわせて少しばかり疑問に思っていたのは排泄の問題です。「ソローの『森の家』」の章で、触れておられますが、やはりお2人とも青天井の下で、としか考えられませんね。でもその姿形を想像するとかなり可笑しい。
 ・排泄問題でふと思ったことがあります。日本では糞便がついこの間まで下肥として使われていたことを私は実地に知っている世代ですが、この肥料は歴史をどこまでさかのぼれるのでしょう? また海のむこうではどうなのでしょう? ――今日、生れて初めて「下肥」を和英辞典で引いてみました。night soil というんだそうです。英英辞典では、OALDには載っていませんが、CODにはあって、sometimes used as manure と書いてあります。廃語の印はついていません。
 ・『方丈記』が、初めから出来上がっているような坊主なんぞによって書かれたのではなく、中年まで俗世でたっぷりジタバタした男の手になったというのがいいですね。今度のご新著で、長明にいくらか親しみが増したように感じています。

長尾はこれを読んで、シマッタ、排せつの問題を方丈庵について書き落としていた、ソローの「森の家」のところで、ともに論じるなんて、遅すぎる、と感じました。その姿形を想像するとかなり可笑しい。想像しませんでしたけど、これも手落ちでした。「まあだだよ」の百閒先生の家ではそれが面白く描かれているのに、と反省もしました。でも下肥の話で、ひどく慰められました。鈴木稔さんらしい文章に乾杯。

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