たい焼きと恐怖心 2024-03-24
・小さい頃からあんこが苦手だった。もっさりとした食感(食感なのか?)が嫌いなのが主な理由。同様に焼き芋も苦手。幼稚園の焼き芋大会で食べているふりをしながら最終的にほとんど食べずに残す能力を3年かけて磨き上げた。
・なのでたい焼きを食べるときはいつもカスタードかチョコのものを食べていたのだが、幼少期にそれを頼むたびに「あんこ以外のたい焼きなんて邪道だ」「わかってない」と母親からボロクソに言われていた。それのせいであんこ以外のたい焼きを食べるときは心の隅に怯えの感情があった。
・母親にそのことを話すと「そのときはただ食べず嫌いの可能性があると思ってたから期待を持ってそう言ってた」と返ってきた。気持ちはわかるがもう少し言い方があったろう。
・こんな感じのエピソードが結構あるんですけど、全部着地点が悪口になってしまうので400字ほど消しました。1番マシなエピソードだけ掲載。
・最近お笑いが面白すぎて、なんとなく自分でも漫才を書いてみたりしているのだが、難しすぎる。ので、髙比良くるまよろしくなぜ難しいのかを考えてみることにする。
・まず人が「面白い」と感じることは「差」という一言にまとめることができる。
・現実では起こり得ないこと、普通の会話では出てこないワード、など、生活との「差」を面白がる傾向がある。
・この下で大量に改行して、突然わたしが満面の笑みでピースしている自撮りが出てきたら面白いじゃないですか。なんでかっていうと、普通の文章やブログではそんなことしないからなんですよ。備忘録や情報発信に大量の改行も笑顔ピース自撮りもいらないんですよ。
・載せませんよ。
・これも、上記の「状況」からの「差」で面白いと感じることができる(つまんなかったらすみません)。
・そして、この「差」というのは現実に起こりうることから遠ければ遠いほど、面白い。バック・トゥー・ザ・フューチャーがバカウケしたのと一緒。創作って突き詰めて言えば全部嘘ですからね。
・ただ、現実から遠い「差」というのは、生み出すことが難しい。ここで最初に戻る。「漫才書くの難しすぎる」。
・こう考えると、既存の言葉をもじってボケにするのって結構効率良いんですよね。ナユタの「お茶」「右腕」とかはそれが顕著だと思う。というかナユタのあのネタって正式名称なんだ。お茶も右腕も同時に登場することあるけど、どっち?ネタパレだと前者だったけど公式youtubeでは後者だった気がする…ナユタは教習所のネタが好きです。
・ちょっと頭がパンクしてきてしまった。難しいことは考えないほうが良い。ゴッドタンのイチゴでも見て寝るか〜。
・それでは。
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