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追い詰められていなくともそこに死はあった。#8月31日の夜に

 10代のころ、「死」は漠然と隣にあったように思う。
 逃げたい、というような命の危機に晒され、追い詰められた、切羽詰まったものではなくとも。
 漠然と、そんなことを思う瞬間が、あの頃にはあったような気がするのだ。

 私は、平和な学生時代を過ごしていたと思う。
 小学校1年生の頃、いじめのようなものは体験したが、家族や先生の対応がよかったので、大事には至らなかった。
 そこから後は、そんな匂いすら知らない日々を過ごした。
 気の合わない人はいても、誰かに迫害されるようなことはなかったし、先生との仲も良好だった。
 家族とも、喧嘩こそすれ、いつも気にかけてもらっていた。愛されていたと思う。
 今振り返っても。生きていく上での不満など、どこにもない10代を過ごしていたと思う。

 けれど。
 そんな平和な時間を過ごしていても、どこか遠くへ行きたいと思う瞬間はあった。
 とても平穏で、幸せで。どこまでも恵まれているのに。ここではない世界へ行ってしまいたいと思う感覚が、私の中にはあったのだ。

 だからなのだろう。
 文章を書くのも苦手だった私が、思いつくままに、こんな話を書いたのは。
  
***

 私の自殺計画

 ふと、『死のう』と思った。

 ーーあの、学校の裏にひっそりと咲いている桜の木の枝にロープを掛けて……。
そこまで考えて止めた。首を吊って死ぬには、あまりにも枝が細い。とてもじゃないけど、あたしの全体重を支えることなんて不可能。

 ーーじゃあ、飛びおり自殺。屋上まで続く階段を上がり、フェンスをよじ上りさえすればOK。あとはそこからちょっとジャンプすれば……。
あまりにも痛そうだ、と思った。第一、自分の死に顔が見るも無残、語るも無残なものになってたとしたら、誰があたしと認めてくれる? それに、スプラッタは好きではない。

 ーーだったら服毒自殺。これなら顔がめちゃくちゃになってわからなくなるなんて事もないし、眠るようにして楽に死ねるらしいから、あたしにうってつけではないか。
ガス自殺という手もあるが、あれはいくら何でも家族に迷惑が掛かるし、死ぬ時まで他人様に迷惑は掛けたくない。

 ーー決めた。あたし、自殺する。服毒自殺。勢いよく席を立つ。そうと決まったら準備しなくては。……と、薬を買いに行こうと思い、ポッケからお財布を取り出す。赤い色に、黄色いししゅうの入ったがま口で……そして、妙に軽いおサイフを。
あけてみて、がっくりする。手持ちのお金は300円。とても薬は買えない。

「……やる気が失せちゃった……」

 ーーかくて。あたしの自殺計画は、いともあっけなく幕を閉じるのであった。

***

 この話を書いたのが、高校2年生の頃だ。
 文芸部だった友達に、「部で発行する文芸誌のページ数が余っているから文章が必要だ。何でもいいから何か書いてくれ」と言われ、思いつくままに書いたものだ。

 本当に何も考えずに、思いつくまま書いたのだなと思う。
 今読み返して、あの頃の自分に呆れるばかりだ。

 平和に生きているあの頃の私には、「死」を選ぶ度胸などない。
 やれ宿題が嫌だ、体育の授業が嫌だと愚痴りながら、図書館で本を読んだり、同じ趣味の仲間が集う会議室で漫画を読んだり描いたりしていたあの頃の私が、本気で死を考えていたなんてことはない。

 あの頃の自分は、知ってはいたのだ。
 「死」が、どのようなものであるかを。
 その言葉に、意味に。どれだけの重さがあるのかを。
 だから、普段の生活の中では、冗談であっても口にすることはなかった。

 けれど、だからだろう。
 自らで選ぶことなんてない「死」は、あの当時の私にとっては、ファンタジーだった。
 だから、漠然と「死」に憧れ、妄想したのだ。
 だから、こんな文章を書いたのだろう。

 今振り返ると思う。
 本当に、私は平和な世界に生きていたのだと。

 平和に生きていた私ですら、漠然と「死」に憧れたのだ。
 だから。
 平和でない場所に身を置く「あなた」が。
 この場所と世界から逃げたいと願う「あなた」が。
 「死」こそが、逃げるための唯一の選択肢に見えてしまうのも、わからない話ではない。

 けれど、どうか。
 その考えは改めてほしい。

 それを選ぶにはまだ、早い。
 この選択肢だけじゃない。
 この世界には、もっと様々な選択肢があるから。

 憧れてもいい。願うのもいい。
 けれど、みっともなくても、かっこ悪くてもいいから、その選択肢の扉だけは開かないでいてほしい。

 諦められないなら。
 高校2年生の私みたいに、文章を書いてもいいのではないか。

 そして、いつか。
 本当の意味で世界が広がって、たくさんの選択肢を選んで、成長した頃に。
 もう一度、文章を介して、あの頃の「あなた」に会うといい。

 そして、笑い飛ばすのだ。
 「そんなこともあったね」と。

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