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BTSと出会って、noteを書くまで(BTSと私①)

コロナ禍の時代に。

たまたまYouTubeを見てて、たまたまDynamiteのPVを見かけて、はじめは見過ごして、でもなんとなく忘れられなくて、そのあともう一度聞いて。歌ってる、踊ってる彼らの、表情に表現に釘付けになって、物は試しと楽曲を遡って、結果、毎日毎日夜中まで過去の曲を聞きまくるようになって。

色々と悩んだけど、もうどうにも自分に言い訳ができなくて、これはもうだめだ、BTSを好きになってしまったって気づいて納得したのが数日前。

はじめての瞬間から、ようやく数ヶ月とすこし経った。

音楽に夢中になったことは数えるほどしかない。ましてや、KPOPアイドルを好きになったことなんて、30年近く生きてきて一度もなかった。

私にとってのKPOPへの印象は、今までずっと、クラスであまり話さない明るい人たちみたいな、そんな感覚。嫌いなわけじゃないけど、なんとなく遠くて、少し異質な、自分とは違う世界の話。BTSのDynamiteを初めて聞いた時も、やっぱりその別世界みたいな感覚は存在していた気がする。まして、BTSについて私が知っている情報といえば「こういう発言で炎上した」とか、そんな話ばかり。

だから、本当は、聞き逃していたかもしれない。

2020年でなければ、多分聞き逃していた声だった。世界を覆った未知のウイルスは、私の人生に少なからず変化をもたらした。私の周りで起こるたくさんのこと、仕事や友達との約束、趣味。全てがストップしたその時、私は彼らの音楽に出会った。

ノリのいい曲だな(あとテテがめっちゃかっこいいな)と思ったことは覚えてる。でも、別にそれだけだったはずだった。

なんとなーく耳馴染みが良くて、聞けばたった一人の在宅の仕事も頑張れる気がして、仕事の進め方もやコミュニケーションが停滞する中で、それなのに、その曲はとても聴き心地がよかった。

人生はDynamiteだと、彼らは歌った。なるほどと思うと同時に、彼らの見ているものを、見てみたいと思った。停滞する世界で、今まで気づかないふりをしてきた「お前は、どう生きる?」その問いを突きつけられた気がして、その時、なぜかわたしはBTSをもっと知りたいと思った。

彼らの音楽や、もしくは彼ら自身は、もちろんコンテンツとしてとても優れているだろう。でもそれを超えて私の心に響いたのは、コンテンツとして消費されることを超えた彼らの声だ。それは、ファン(army)と仲間への信頼の上に成り立っていて、だからその声は言語や国境をものともせずに直接届く。彼らはファンを「応援してくれる人」でありながら、「同志」や「友達」として見なす。それがとても心地よくて嬉しい。今この瞬間、BTSを好きになった人のことも、当たり前の顔で君たちは俺の仲間だよ、だと言ってくれそうな安心感がある。

armyとBTSの関係はまたの機会として、そんなこんなで、わたしがBTSにハマった経緯は、本当に単純に「停滞する世の中で、彼らの歌はストンと直接私に響いた」それだけなんだろう。

まだまだBTS初心者な自分への記録として。



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