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理不尽な、音の世界

騒音で殺人が起こる世の中。

近頃のそういった風潮を、私はとても軽く受け止めていました。「音くらい」なんて言葉で締めくくって。

しかし、最近の私は音で悩まされることの多さに辟易しています。「音くらい」では済まされない。

音は、時にはとても癒しになるし気持ちイイ思いにもさせてくれる。リラックスさせてくれる効果もある。

けれど、その正反対という効果もあって。

音は時に、人をひどく不快にさせる。それも、人の立てる物音が原因で。ポイントは、人が立てる物音というところです。何故かというと、例えば工事中というのであれば、それは公共事業だし家を建てるのだと言えば、それは止める権利はまったくない。ですが、人の立てる物音はその人がその行為を止めれば音が止まるという点にあります。

というのも、私が年を取るにしたがって家の周りの環境も徐々に変わり始めました。空き地には新しい家が出来、新しい人が引っ越してきて大抵、そういう家には子どもがいて。

子どもがきらいな私にとって、今の状況は最悪と言えます。

外に出ても、子どもの声。家に帰れば近所の子どもの声。

なによりも許せないと思っているのは、家の敷地にバスケットゴールを作って遊び始めた子ども。

以前、あんまりにもうるさかったため、抗議しに行ったことがありまして。

そしたら、逆恨みをされてしまい……うるさいと言っているのにもかかわらず今では一日、二時間以上、バスケットをしています。

音がボンボンと跳ねる音、それに加わり近所の子どもの声。

こういった精神病にかかるとよく分かるのですが、すごく音に敏感になるんです。一度嫌だと思った音は、次聞くと神経を病むくらい気になって仕方がない。

そこで、市が行っている住民相談を二件回り相談したところ…。結果はこうでした。

『家の敷地内でしていることに文句はつけられない』

ということで、私含め、家族はただ騒音に耐えるしかない。

でもそれって、ものすごく理不尽なことだと思うんです。

片方は、楽しくバスケット。

片方は、頭が痛くなるほどのストレスを抱えひたすらバスケットが終わるのを待つ。

片方は、楽しく道路でお遊び。

片方は、早く家に入ってくれないかとひたすら待つ。音によるストレスで頭痛に悩まされながら。

その理不尽さに、頭を傾げるばかりです。これは、我慢しなければならないことなのでしょうか。まあ、…専門家が言うには『家の敷地内だから』なので、きっと我慢しなければならないのだとは思いますが…。

その一方で、道路で子どもを遊ばせて、いつ車が来るかも分からない道路で遊ばせることに何の疑問も持たない親たち。そして、その子どもたちの笑い声怒鳴り声が木霊する我が家の部屋の中。

野中の一軒家に住んでいるわけではないので、もうひたすら我慢するしかないのですがゴールデンウィークが心底に嫌でなりません。

逃げ場が、無い。

騒音が原因で殺人が起きるのはこういったことが引き金になり、そのうちに耐えきれなくなって起きるものなのだろうな…そういった思いさえ抱きます。

「我慢すれば?」言うのは簡単です。ですが、どうにも理不尽に感じてしまいここ毎日を過ごしています。

迷惑という言葉の意味を、もう少し持って欲しいもんだなあ…そう感じます。

片方は楽しい思いをし、片方はただひたすら不快に思っている気持ちと闘う。

なんとも理不尽な世の中になったもんですね。

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