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''ばきゅん''の達人になりたい

あぁ、ばかっぽくて安直でシンプルでいじりやすい、そういうツイートがみんな好きなんだな。

ライブアイドル時代にツイッターで下書き供養をした時、そう思った。私が考えるアイドルはこうなんだ、とか、こんなことを考えた、とかの、私がいいと思って書いた長めの文書は、かなり崩したつもりだったけど、伝わっている人と、そうでない人とが居そうな雰囲気だった。

そんなんより、カレー食べたいとか、メンバー間で梅干しがぶーむなり、とか、ハバネロパウダー辛すぎて号泣だとか、真面目すぎると思われないよう後付けで合間に挟んでおいたどうでもいいものに多くのコメントが届いた。

考え方とかを良いと思ってくれてた人がいたことも、それが好きだと伝えてくれた人もいて、それは本当に、素直に嬉しかった。だけど、全体的な総評として、この界隈ではわっかりやすい短い文のネタ系の方がウケが良くて、馬鹿さとツッコミやすさが親しみやすいという形で捉えられることを知った。そういうものが、ライブアイドルファン層には求められているんだなと理解した。

求められているのならば、と以降順応してそういうことばっか呟いてやろうかと思ったが、残念なことに、おもしろ短文ワードセンスが皆無だった。それに、ばかっぽいことばかり呟く女への''憧れ''は1mmもなくて、そうなるのはやだな、と思っている自分に気付いたので、やめた。
そういうのばかりを褒めてくる層には刺さらなくていいし、いらないか、とも思った。

求められるものに応じて自分を変化させることは、基本的にはしなくていいと思ってる。勿論人として少しは必要な場面もあるけれど、そのままの自分が居心地のいい環境を探した方がいい。自分を殺して好かれても、その好かれた自分は自分じゃなくて虚しくなるだけだ。学生時代、偽りの自分を作りまくって得た友達の希薄さと、嫌われてもいいやと思って適当に接してたのに出来た友達の心地良さでそのことを理解した。綺麗事みたいだけど、取り繕わないでも好かれる人には好かれるし、嫌われる人には嫌われる。これは紛れもない事実なのだ。

なにより、自分を殺すということは、ありえない程のストレスだ。だから、要求に応じて無理に変化し、自分を偽るのは違う。

とは言っても、私を俯瞰した時、ご主人様お嬢様によって対応が異なっているような気はする。穏やかに話す時もあるし、まじか!みたいにはしゃぎ倒す時もあるし、キラキラかわいこぶることも、ちょっと悪い話をして低い声で笑うこともある。

それに関しては自分を偽っている訳ではなくて、自分の中にある、様々な面を引き出している、というような感覚を持っている。

自分はまいるんみたいじゃないから、色々な面なんてないよと思う人もいるかもしれない。でも、誰しも必ず自分の中に複数の自分を持っている。例えば、家族といる時と、心置けない友人と過ごす時。どちらも素の自分だけど、きっと少し対応が、キャラが、テンションが、多少なりとも違うはずだ。

この人はどんな人で、どんな雰囲気が好きなのかなと考えるのが好きだ。それがハマると、趣味とかが合わなくたって途端に仲良くなれる。''ばきゅん''とした感覚があるのだ。これを起こすのは難しい。でも1度味わうとその人との関係がぐっと近づくし、嬉しくて、心がキラキラしてくる。すごく幸せな気持ちになる。

だから私は日々、ばきゅんを起こすため、試行錯誤している。打率は低い。

ばきゅん の達人になりたい。
そして、出会えたどんな人とも心で会話したい。
そんな想いを抱いて、明日もお給仕いってきます。

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