本を読んでいたらお湯が冷たくなっていた
2時間20分。
43度のお風呂のお湯が、さむ、と
感じるようになるまでの時間だった。
ぬるいというより冷たくなった、かつてお湯だった液体の中で、右下の数をみる。
301。残り43ページらしい。
読んでしまいたい。
名残惜しいけど寒さはごまかせない。
恒温動物すぎる人間の体を呪った。
諦めたように本を手放す。
急いでシャンプーをして浴槽を出た。
今私が読んでいるのは
2023年度本屋大賞受賞作
凪良ゆうさんの「汝、星のごとく」。
今日の通勤時間も読んでいた。続きが気になる。
ひとたび本を開くと世界は遠のいていく。
いや、全ての本がそうなのでは無い。
''意識を遠のかせてくれる本''というのがある。
時間を忘れ、世界に没頭しているひと時が、たまらなく好きだ。気づいたら朝、なんてこともざらだけど、そんな時私は笑ってしまう。勝った。自分の睡眠欲はわりかし強い方なのに、それに読書欲が勝った。妙な達成感。次の日の睡眠不足が辛いことより、類まれなる豊かな読書旅行ができたことに幸福を感じる。
一方、アニメや漫画を見すぎて、没頭し、夜更かしをしてしまった時。楽しかったはすなのに、私はいつも罪悪感的なものを心に抱える。あぁ、ちょっとやりすぎた、反省、時間を無駄にしちゃったかな、と。
これは本当に不思議だ。
どちらも等しく物語の摂取なのに。
どちらにも素敵なところが沢山あるのに。
改めて考えると、とても可笑しい。
恐らく、自分の中に、読書は正義だというレッテルがあるんだろう。小学生のころ…いや、幼稚園児だった時から、本を読むのは良い事だという、親から教わった''ジョウシキ''が備わっている。その成長過程で植え付けられた固定概念が、読書になら時間を溶かしても良いと思える理由のひとつ。
もうひとつは、私の場合、得れるものが他の媒体よりも多い気がするからだ。文字を咀嚼すると、本当に不思議なんだけど、何故かこうやってすらすらと文字が浮かんでくる。自分の中にこんなにも思考があったのか、と不思議に思う。(今も書きながら自分が紡いでいる言葉に驚いている わぁお)
本を読むと、なぜだかいつだって少しは内容とその時抱いた感情を覚えている。文字を追うことで情景を想像し、空想力を働かせるというのが記憶に残るのか。はたまた、毎度軽い感想を書いているからなのか。よくわからないけれど、小説であれ、自己啓発本であれ、良いものからはその後の人生になんらかの影響を与えられている実感がある。
一方、アニメとか漫画は本当に大好きだけど、なんでかな、それを見た後に自分の感想が浮かんでこない。いや、多少は浮かぶんだけど、「ユーフォのここの作画めっっちゃきれい!」「いやみつみ首席なのかっこよ、好き」「植野はツンデレで可愛いな」とか、基本的に情報を受け取ることしか出来ない。それを受けて、自分の考えを膨らませることが、なんだか全然出来ない。感想も好きだったシーンのメモだけになってしまう。
多分私は映像記憶能力があまりないからだと思う。だから、アニメや映画を受けて、自分の意見がたっぷり出てくる人は、私からするとすごい。
物語を受け取ることで溶かす時間。そんな時も愛おしいけれど、やりすぎると時間を殺しえしまったような、現実逃避だったような気がして、せつない気持ちになることも多いのだ。
見過ぎなければ嫌では無いし、アニメは好きだし、否定している訳でもないから、これからもそんな時間は愛していきたい。
けれど、どうやら、私の中で、時間の使い方の価値は 明確に本>映像 のようだっだ。
これはあくまで、私の場合。
私は本を読むと自分の思想が湧いてくることから、本は自分を豊かにするのに向いているとこの度判断したが、正解は人それぞれ。人によってはアニメだったり、映画だったり、漫画だったり、バラエティやラジオだったり、友達との会話だったりする。
そもそも、何かを受けて自分の意見を持つ、という行為自体、自分を豊かにすることなのかもわからない。自分から感情が湧くって、不思議だし、大切にしたい素敵なことのように私は感じるけれど、人によっては生きづらいなと思うだけかも。
そう考えるとなんにも正解がなくて、ほんと生きるのって難しいね。
正解なんて分からないけど
感情は一瞬で生まれて、消えていくものだから
自分から生まれた感情は大切に生きていきたい
そんな気がする。
価値を感じてくれること、生きる糧です。 カフェでの1杯や、本代にさせて頂きます☕️ noteのコメントには返信機能がないので、こちらで感謝を込めた返信をさせて頂きます✉️♡