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日常の思考を大体最近はライブ配信でアウトプットしてるもので、今年4月の記事「のらりくらり…
単純なことを実現するまでに相当の時間がかかった。私が私自身でいるというそれだけの「基盤作…
この世界に私は誕生した……と思っている間は、多くの人がこの世界の中に自分の居場所であると…
書き言葉でまとめるにはスピードが追い付かないような自分の中の理解、気づきの光が到来してい…
朝方あたりにとても印象的な夢を見た日の夜、自分の情動が大きく揺れるきっかけがあり、内に向…
言語化できない体験の日々を過ごし続けている。言語化できない理由は複数あるのだが、実際、こ…
これまで私の活動を見てきてくれた方には意外かもしれないし、そうでないかもしれないけど、「霊能者」を仕事名称にしようかと思ったことが実は度々ある。以前使っていた「スピリチュアル・カウンセラー」という呼称は「自分のやっていることを、現在多くの人に認知されている用語で表すならこれが一番見つけやすいのかな」と、「わかりやすさ・見つけてもらうことを第一に」選んだ名称で、個人的にはあまり「スピリチュアル」という呼び名のカテゴリーが好きではない。言葉そのものが悪いわけではないんだけど、そこ
何度も何度も浮かんできてしまって、向き合うことになる課題がある。 「課題」と言うと重く感…
自分のことなのに、自分の行動を観察しながら「何をやろうとしているか知る」っていう発見の仕…
私は特に悲観論者というわけではないのだが、「みんな、よく生きているよな」と心から思う。こ…
人生では、これまでまったく魅力を感じなかったものに思いがけない惹かれ方をするという「サプ…
<プロローグ> この作品は創作として、「思い」については私小説的に表現したものだが、この…
自分で叶えられる範囲内の望みでも受け止めずに無視するっていう、日常的な虐待を私たちは自分…
昔から、ひとつの人生を生きているという感じがちっともしない。同時進行で複数の現実を見ている感覚は、私にはなじみ深いものだ。これはことさら「スピリチュアル」と呼ばれる分野に関わる前から、そうだった。 自分を個人と定義しようとしても、「どの個人?」との問いが自然に浮かび上がってくるような、そんな素地がある。様々な現実、様々な人生を同時に垣間見、体験するとはそういうことだ。 起き抜けに、あえて言語化するならば「これはどの自分、どの現実だっけ?」という感覚を伴い、しばし「この特定