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「リアルレアリズム宣言」オカワダアキナ・ひのはらみめい・泉由良

 噂の紅い本こと「リアルレアリズム宣言」を読んだ。

 この3人の書き手は、実はぼくの出した合同誌「ラブホテルアンソロジー 満室になる前に」でもご一緒しており、ぼくにとってもなじみ深い方々である。それぞれの作品もとい作風もそれなりに知っている。そして知っているうえで書くが、これはまさにノールックパスをつないでいく奇跡のプレーのような趣で、それぞれがそれぞれを信頼してお題に即した短編を書き上げているというのがわかってしまい、とにかくその凄まじさに呆然とした。

 この合同誌は、たった一夜で完成させたノリとスピードの作品集「シュールレアリスム宣言」を受けて追補短編や手直しなどを加えたものである。とはいっても実はぼくはまだ「シュール~」を未読である。持ってはいるが、読んではいない。諸事情で先にこちらを読んでしまった。少なくともこの合同誌が完成形だというのはどこをどう読んでもわかることである。それくらい、この作品集には、本来同人誌すべてにあるであろう「隙」というものが存在しない。三位一体、というものがまさに具現されているといってもいいくらいだ。

 この並びの妙は、終盤に向かうにつれて言葉それ自体がもつインパクトの強さをより意識させられるように作られているということではないだろうか。

 最初の書き手、オカワダアキナ氏の印象は、とにかく切れ味の鋭い刃と自由自在な間合い、というようなものだった。今でもそれは変わっていないし、ここで書かれている短編群にもそれがよく表れている。氏の文章は極めて切れ味が鋭く、こちらが斬られていることにまったく気づかないくらいで、氏が最後の一文で刀を鞘に納めたとたん、こちらの身体が音を立てて崩れ落ちる、というようなイメージだろうか。それでいて、読み手と書き手の距離感をしっかりと持っているというか、非常に奇妙なはなしであるが、読み手の呼吸に合わせてその距離感を変えてきているような印象がとてもある。とくに、最初の一文で一気に引き込んでそこから最後まで読ませ続けるという力が高いのではないか、とぼくは思う。

 続いては、ひのはらみめい氏であるが、これもまた氏の官能的でいてどこか亜空間に吹き飛ばされたような、ひとの頭ほどもある巨大な斧で四肢を断っていくような狂気じみてなおも寂寥が残る作風がよく出ている。また並びが非常に好きだ。「ジョバイロ」「抜ける」はどちらかというと官能的な雰囲気で、「快癒の痒み」はいっとう好きなのだが好きすぎて言葉にできない。展開の小気味よさと主人公の病的さ加減の妙、とでも書けばいいだろうか。そして「蝉カー」である。ひのはらみめいの狂気が圧縮されたような作品ではないかと思う。リストカットした手首の奥にうごめく動脈を見てしまったような、もしくはたたみいわしの目のひとつひとつを眺めていたらぜんぶ動き始めてしまったような幻覚に襲われるような、そういう悪酔いがするような小説である。この「蝉カー」ひとつだけでひのはらみめい氏の書き手としての尋常ならざる能力がわかることであろうと思う。

 最後に登場するのが泉由良氏である。氏は強靭な世界観をすべて詩的すぎることなく詩的に表現するという意味で、ここに並ぶ3名の中でも最もことばのインパクトとコンビネーションのバランスが強い書き手であるとぼくは思っている。右手にイチロー、左手に松井秀喜といった感じだ。自分でも何を言っているのかよくわからないが、ここまでの表現をならうなら、おそらくそんな感じだろう。つまり、残りの2人と異なるのは、氏だけが完全な打撃系であり、強く斬り込むことがない代わりに、分厚い鱗を持った心ですら内側から粉砕できてしまうような、そんな強さを持っているということである。ひとつひとつの短編はそれぞれで完成しているが、それが連作としても読むことが出来る。ことば選びや固有名詞が独特で、しかしてらいがないというのはめったにないのではないだろうか。それを平然とやってのけるポテンシャルである。しかしこれは裏を返すと、読む人を分けてしまうということでもあるのだが、それこそが氏の作風なのだなあ、と個人的には思っている。

 ということでひどくわかりにくい感想を書いてしまったが、もしこの文章をよんで「どういうことやねん」と思ったそこのあなたはまず手に取って読んでみるべきである。しかしなぜ赤いのだろう。この本を読んだ人間の返り血なのだろうか。いや、もしかすると……

(この記事はここで途切れている)

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