見出し画像

「PortRay」桜鬼ほか5名(波の寄る辺)

 「波の寄る辺」の主である桜鬼(はなおに)氏が主催した合同誌。著者は掲載順に、森大那(もり だいな)、きよにゃ、オカワダアキナ、東堂冴(とうどう さえ)、桜鬼、笹波ことみの各氏。横浜と神戸、ふたつの港町を舞台とした小説群をゆるやかにつないだ合同誌。令和がまさに「船出を迎えた」日に発行された、波の音と潮風のにおいが漂う作品である。


 横浜といえば、ぼくもかなり縁が深いまちで、幼少時代と大学時代を過ごした思い出の地だ。実際、氏の企画発表の際、ヨコハマカオスアンソロジー「ジーク・ヨコハマ」の企画が盛り上がらなければ手を挙げていただろう。さらにいえば、「ジーク・ヨコハマ」に収録されたぼくの寄稿作「Dear Y」は、もし本作に小説を寄稿するとしたら、という裏テーマで書き上げられたものである。もしお時間が許すのであればこちらもあわせて読んでいただくと、幻のなにかが見えるかもしれない。


 合同誌というものは、作るのも難しいが、実は読むのも難しい。作り上げたのがひとりではないから、どうしても作品と収録コンテンツとの間にずれやばらつきが生まれてしまう。それを合同誌の「雑味」としてぼくは肯定的に消費しているし、合同誌というものはそういうものだろうとずっと思っている。
 しかしながら、最近出てきている合同誌はとくに、その「雑味」をいかに殺すか、ということに主眼が置かれているものが多いように思う。個人的には残念に思うが、全体のコミュニケーションが迅速化している昨今、このような流れはあらがいようもないほど明らかなのも仕方がないとも思っている。本作は、まさにその流れの中で生まれてきたものだろうと考えられる。桜鬼氏のはっきりしたディレクションがそれを可能にしており、特に本作は、寄稿作からそれをつなぐフレーズや後書きにいたるまでその紙面の隅々まで氏の趣向が凝らされているのを見てとることができる。この面からも、近年の小説合同誌を象徴したすばらしい作品であるといえるだろう。


 先述したとおり、本作は神戸と横浜を結ぶという意趣が強く、どちらかを主とした作品の中でも、もう片方を何らかの形で綴るという制約の中で作り上げた小説たちを収録している。実を言えば、主催である桜鬼氏と前回とりあげた「蝸牛関係」の著者であるオカワダアキナ氏以外の書き手は、名前こそ知っていたものの小説は初めてであった。しかし各作品とも、知性と教養をその根底に感じることができる。逆に言ってしまえば、この作品は神戸も横浜も知らない、もしくは、住んでいてもそのまちの歴史を知らない、あるいは興味がない、というひとたちにとっては読むことすら難しい作品たちであるように感じた。それはネガティブな印象ではない。そもそも、横浜も神戸も知らないようなひとは本作を手に取るような環境下にないのだから、それでいいのである。ぼくはそこに書き手たちの知性に対する崇高な矜持を感じた。


 つくづく、何度も死にそして生き返るような、ゾンビのような書き手生活を続けていると思うのは、書き手が生存し続けるにあたってもっとも必要となるのは「己を己たらしめるための矜持」ではないかと思う。これを強く持つ書き手は、少なくともそうでない書き手よりは長く書き続けられるだろうし、あらゆる逆境や危機を抜けてもまた「書いてしまう」のではないだろうか。そして、それが正しいとするならば、本作に「寄港」している各氏はおしなべて「強い」船をおもちであるなあ、と感じている。それは同時に、強い「ごうがふかいな」を保持していることを示している。本作を読んだだけではわからない各氏のそれぞれの著作にも踏み込みたいと思えるような合同誌であった。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!