#6 結局のところ金がある方が強い、なんて現実はあまりにも残酷すぎないか、みたいな感じのはなし

 今年も後半にさしかかった。どうやっても静かな夏にならなそうで、今からすでに辟易としはじめている。


 1月から同人活動を会計的な観点から記録している。月末の会計報告は同人活動に関連する取引を自分なりに仕訳し、それらをエクセルで集計して出している。一応こちらの戦略的なところもあり、企業のように公開する義務もないことから「協会ファン向け情報」というかたちで記事ごとに価格をもうけて有料で販売している。また「年間購読プラン」として有料のマガジンにそれらをまとめている。月に1度月次報告をあげるほか、イベントの結果報告などもあるため、ひとつずつ記事を買っていくよりは年間購読プランのマガジンに登録してもらったほうが得である。収益費用面で「持続可能な同人活動」とは何かをさぐる一助となれば幸いである。
 半年やってみてまず気がついたのは、「通信販売は双方にコストがかかる」ということである。ものを送る費用、梱包する費用、金銭をやりとりする際の大小様々な手数料、と計上していくとこまめにいろいろなところにお金を払わなくてはならない。だから割高な気がするし、買い手からすると送料や手数料がかさんで提示される金額は割高に感じてしまうし、売り手側の事情で通販の価格を引き上げていたら(本協会も同様であるが)割高感はより高まる。それが「通信だと出ない」ことの一因であるように思う。
 そう、最もびっくりしたことは、やはり対面頒布と比較するとどれだけ工夫したところで通信頒布の実績は大幅に下がることである。現状ぼくは休止前と同様の資本投資でやっていこうとして同様の新刊生産スケールを考えていたが、どうもそれだと在庫が滞留してクローゼットを圧迫しかねない(というか現に圧迫していて衣替えが困難だった)ことに気づいた。つまり、これまで以上に継続的な同人活動が難しくなっているということでもある。低ロットで頒価を抑えるのは存外に難しい。しかも、おそらく多くの方は原価計算などというまどろっこしいことなどせず、見たまま、感じたまま、周りの相場に合わせて値付けをしているため、はっきり言ってしまうと持続可能の「じ」の字すらないような頒価の同人誌があふれてしまうのである。
(いうまでもないが、ここでいう「原価」とは単なる印刷費のことだけをささない。その本ができあがるまでにかかったすべてのコストが本来の意味での「原価」であり、印刷費はその一部に過ぎない。ぼくの経験だけでいえば、「原価」はまじめに計算すれば印刷にかかった費用のおおよそ2倍強ほどだろうと思う。もちろん、もっとかかるひともいる。)


 つまり同人の世界にはもともと頒価を引き下げる圧が存在している。そもそも大量に生産できるような「読み手が多い」同人誌はほっといても「原価」を圧縮できるのでもともと頒価が低めに設定されているわけで、逆に言えばおおくの書き手ないし描き手がまねできるようなものではないのであるが、その大手の頒価を参考にみな値付けをし、結果原価割れ(頒価が「原価」を下回る)を起こしているようなものが多いのである。これは致し方ない流れではあるのだが、はっきり言ってしまうともったいない。原価割れの同人誌を頒布するというのは、言い方を悪くすれば「札束を自分で印刷したものをただで配っている」ようなもので、当該同人誌、ひいては書き手の価値そのものを圧縮する効能を持つ。だから同人誌の頒価は自ら決める必要があり、それは高くとも安くともよくないのである。すくなくともぼくはそう考えている。そして、そういう形で頒価を設定していくと、必然的に「原価」に近い価格で頒布せざるを得なくなる。ここが難しい。そして多くの同人がこのあたりで適正な頒価の設定を諦める。趣味でやっているから利益は取れない、などと妙によさそうな言葉を選んで。だけれど、頒価の設定は持続可能な同人活動の一丁目一番地であるとぼくは考えている。そして、だからこそ頒価を柔軟に変えていくことも必要であると考える。本協会が対面頒価と通信頒価の二元制をとるようになったのはそういったいきさつもある。


 よりおおくのひとびとがよりおおくの作品を出し続けることにより、よりおおくのひとが「持続的な同人活動」の継続を行えるとぼくは考えているし、そうしていくために行動している。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!