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「塔」九十九九音(しろいかみ)

 「ものがたりで白を染める」というキャッチコピーのサークル「しろいかみ」の書き手である九十九九音氏のSF作品。
 ぼくは九十九氏をよく知らない。氏と出会ったのは地方巡業の最後にたどり着いた文学フリマ福岡でのことであった。隣のサークルがこの「しろいかみ」で、そのシンプルかつ合理的な同人スタイルが目を引いた。ぼくが薄々感じていた引き算による宣伝を、彼は実践していた。
 彼はこの作品を異色という。曰く、ジャンルを分けかねているとのこと。それに興味をもちぼくはこの作品を最初に求めたような気もする。順序は関係ないが、読んでみて思ったのは、むしろこの作品こそ、スタンダードなSFと呼ぶべきものではないか、ということであった。


 ぼくにとってSFというのは実のところ純文学ときわめて近いと考えている。それは、人間というもののあり方を考えるというところと、目に見えない概念を顕現させるというところが関係しているように思う。あくまでぼくにとってであるが、純文学とSFを分けへだてているものは、その小説が指し示している単位がきわめて大きいものか、そうでないのかというところではないかと思っている。もっとも、ご存じの通りぼくは文学やSFについての素養は全くないし、実際のところなにをもってこれらをジャンルたらしめるのかというのは様々な議論が存在しているのでいちがいにそうであると決定づけることは不可能である。しかし、ぼくが示したここまでのSFの考え方にのっとれば、本作品はまぎれもない、真っ正面のSFであるといえる。作品全体を貫いている「塔」という建造物は、実在を許されていない「世界樹」のような存在感を放っている。実際、物語が進んでいくとこの「塔」が「世界樹」として機能し始め、予定されたカタストロフが実現される。その後のポストアポカリプス的な世界のはなしが、非常に詩的に展開されるさまに、ぼくは九十九氏のごうがふかいなを感じた。
 小説というものは単に難しいものを並べていればいいわけでも、難解な文章構造を構成していけばいいわけでもない。きわめて平易で素朴な文章がいっそうの美しさを発することもあるし、単純さというものはそれだけ波及力が大きく、強い。それらの組み合わせで小説はできあがっているし、ぼくらはそういった小説を書いていく必要がある。
 九十九氏の小説は、そういったことを思い出させてくれた。ほかの作品を読んでいないが、しかしながら氏の作風の妙というものを感じざるを得ない作品であった。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!