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「滅びゆく物語の為の幻燈録」神奈崎アスカ(雫星)


 神奈崎アスカ氏と初めて出会ったのは文学フリマ京都での打ち上げの席だったような気がする。ぼくが今ほど純文学を書いておらず、むしろSFやファンタジーの書き手であるということを強く意識していた頃だった。当時は数回軽い話をした程度であったが、名刺を交換していたのでツイッターアカウントをフォローし、なんどかブースも訪れ今に至る。そしてその今に至るまで作品を読んでいなかったわけであるが、はっきり言ってしまえばなぜもっと早く読まなかったのだといいたい。まあ、こればかりはぼく自身のコンディションもあるのでなんともいえないのだが。


 この短編集は新刊当時「シンカントテモシロイホン(シンカンセンスゴイカタイアイス的なギャグと思われる)」としてセンセーショナルに告知をされていたので気になって手に取った。いつの頃かは忘れてしまったが。実際真っ白な本に真っ白な文字でタイトルとジャンル(幻想戯曲)、そして作者名がかかれているのでよく見ないと見落としてしまう。しかし読んでみると、この表紙にした理由が見えてくる。特に、冒頭の表題作が全体の雰囲気を大きく牽引する役割を持っている。物語を書いたものは燃える、という世界設定とその謎があかされる終盤は非常に手に汗を握る展開と描写であった。


 幻想戯曲、というジャンル文字に実は読み終わってから気がついたのだが、そのジャンル名称がふさわしいとぼくは思う。この作品集には5つの短編が収められており、どれをとっても非常に磨き抜かれたファンタジー空間を堪能することができる。そしてそのいずれも、退廃的な雰囲気を纏っている。この作品集に根底するのは「滅びの美学」であるようにぼくは思う。文のひとつひとつがきらびやかで美しいのに、すさまじく読みやすいのが大きな特長であるが、これは非常に驚異的である。これだけのなめらかな語り口と絶妙なストーリーテリング、そして強固に塗られた退廃ファンタジー空間。そこには氏の美学の片鱗が確かに埋まっているといえるだろう。そして一朝一夕でかたちづくられたものではないということも自然とわかることである。見た目は非常にシンプルな「トテモシロイホン」であるが、その中身はむしろ深淵のようなほの暗さがあり、どちらかというと華美な語調でありながら流麗な語り口を擁する氏の文体に少し没頭してしまった。ぼくとしては読むことに没頭する体験というものは実のところ珍しい。

 短編がうまい書き手というのはおおざっぱにわけると2つのタイプがいて、ひとつはちょうどいいあんばいに話を振り分けていくのが上手なストーリータイプと、限られた文字数にたくさん情報を詰め込める圧縮タイプがいると思っている。氏は明らかに前者で、それゆえに長編でも読みやすく流れるような文体が続くのだろうということが期待できる。まだ読んでいないが、いくつか長編作品もゲットしているので、これから読むのが楽しみである。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!