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「火竜の僕は勇者の君と一度も言葉を交わさない」雲鳴遊乃実(鳴草庵)

 雲鳴遊乃実氏をぼくは勝手に「雲さん」と呼んでいる。というか、自分の中で勝手に親愛度が「他人」の域を脱すると勝手に呼び名を考えて本人に特に了承を得ないで言ったりするしこれもその延長線上である。氏と出会ったのはごく最近のことであるが、そんな気がしないのはあらゆる意味でぼくと氏が比較的近しい存在だからだろうとなんとなく考えている。
 氏の個人誌を読むのは今作が初めてだった。いろいろ考えた末にこれを最初に読むことにした。


 本作は氏の「まじめさ」がかなり強くでているといっていいだろうと思う。本編と「もうひとつの夢」、そしてあとがきに至るまで、本作はかなりまじめな同人小説誌である。これよりまじめな作品というのは、少なくともぼくの観測した中では数えるほど、いや、もしかするとないかもしれない、というくらいには、本作はまじめな同人誌であるといえるだろう。
 生まれつき虚弱体質だった主人公が夢の中で火竜となり、異世界で勇者と冒険をする、という設定を余すところなく使って書かれている。正面きったファンタジーでもありながら現代小説でもあるという二面性すらも、雲さんらしさであるというふうにぼくは考える。


 書き手としての氏は、かなり奇妙な線を、つねに描いているように思う。その舞台がいかなるものでも登場人物がいかなる組み合わせでも、描かれた線はけっして揺らがず、ほとんど同じ線をなぞる。ときに執拗に、ときになにげなく。氏こそ、ごうがふかいなをもっとも直接的に書き表すことができる数少ない書き手であるとぼくは思っている。てらいもはじらいもなく、氏はまっすぐにその沼を進む。なぜならそれが、氏の描いた道であるからだ。このひたむきさと頑固ともいえるほどの意志の強さにぼくは書き手としてただあこがれる。ぼくが同じ設定、同じプロットを使ったとして、ここまで「自分の書きたいこと」を明確にしっかりと書けるかといったら、まちがいなくできないと答えるだろう。もちろん、ほんとうはどこをどう書きたかったのかなんて氏にしかわからないし、ぼくが考える氏の「書きたいところ」ではないのかもしれないが、けれどもこの小説から感じられた「書くことの必然さ」のような切迫感をぼくは見逃すことができなかった。


 氏といえば熱量あふれる同人誌レビューでも知られ、ぼくの作品もいくつかレビューを書かれている。そこからは氏の思慮深さも伺えるわけだが、この作品に関してだけいえば、普段見せる思慮深さ以上に熱量と切迫感を感じた。読んでいてどこか「らしくなさ」を感じたのはそのあたりかもしれない。
 雲鳴氏の文章を知っているひとにこそ読んでもらいたいと思う。氏の(ふだんはそこまで見せることのないであろう一種の)美学が、この作品には詰まっているといえるだろう。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!