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「熱的死」 転枝(六月のクモノミネ)

 思うところあって、この媒体で読んではいるものの、諸事情によりシーズンレース等にのせることができなかった同人誌について感想をまとめたいと思う。

 というわけで、栄えある初回を飾るのは転枝氏の作品である。ぼくはかれの書き手としての能力はかれの同世代と比して非常に抜きんでているように思うし、現にぼくよりもずっとずっと書き手として優れている面も多々あると思っている。しかしながらぼくは、はっきり言ってしまうとかれの文章が非常に苦手だ。ということで、今回は、どうして苦手なのか、というところも含めて深く考えながら、この作品についての感想を書くことにする。なのでシーズンレースとは別枠のものとして記載させてほしいし、ほんとうのことをいうとシーズンレースとして記載される作品は実はあとひとつだけで、それ以降はこうした形での掲載が増えていくのではないかと勝手に思っている。

 さて、この小説はかれが今年の夏コミにてリリースした中編小説である。純文学、というジャンルをどうとるかにもよるだろうが、この作品はかれの書いた小説の中では純文学たるものになるのではないかとぼくは思っているし、そういった部分を含めても、この作品は(かれ自身はおそらくそう思ってはいないとは思うが)転枝という書き手のターニングポイントとなる作品ではないかと考えている。それほどまでに完成度は高く、また非常にわかりやすい展開で、登場人物の心理描写や関係性に関しても非常に緻密で読みやすいので、転枝という書き手は一体どういうものを書くのか、それを読んでみたいと欲する人間にとってはこれを求めるのが現状ベストではなかろうかと考えている。

 登場人物もストーリーもすっきりとしている。主人公とその恋人、そして勤め先の店主とその取引先である画家、さらには主人公の脳裏に潜んでいる「少女」とうり二つの女の子、の5人で、主人公の一人称で話が進んでいくため、主人公の持つくせのある精神描写が生きる仕組みになっている。この主人公が非常にくせが強い存在で、感情移入しにくい反面、キャラクターとして非常に生きている。特に面白いと思ったのが、転枝という書き手そのものが持つクセと、この主人公のキャラクターが持つクセがかなりちぐはぐなところで、小説全体に強烈な凹凸を生み出し、転枝タッチとでもいうべき独特のコントラストを生み出している。かれの文体は絵画で言うとゴッホみたいな感じで、ビビッドな単語を並べてそれらを連鎖させることによってひとつひとつのセンテンスにおける印象を際立たせ続けるタイプのものである。しかしながら、この作品の主人公は負の方向性による感情の不安定さは若干あるものの、他の登場人物と比しても非常に穏やかな性格であるということが行動から推察できる。この決定的な差が作品全体の印象を際立たせていることに成功しているというところが、この「熱的死」の最も優れたところで、転枝の代表的作品になりうるとぼくが考えているところである。この作品は物語としては極めてシンプルであるが、小説として非常にいびつであり、またその部分が絶妙なえぐみとなって読み手を刺し貫いていく。また、今までの転枝作品にみられた病的ともいえるほど多用される引用表現や、知的集積力の高い舞台設定などが非常にすくないというところでも非常に読みやすく、またとっつきやすい作品でもある。おそらくもうそれほど残っていないはずなので、もしお求めになりたい方がいたらご本人に問い合わせなどしてみるほうがよいかもしれない。かれはおそらく、この作品を再版しないだろうと思われるので。

 思うに、ぼくがかれの小説を苦手としているのはまさにこの凹凸の部分であると思われる。かれの文体はセンテンスそのものが非常に強烈な印象を残す。それはぼくの小説の書き方と完全に逆である。ぼくはむしろ、全体の中での重心となるものにすべてが落ち込んでいくような構造を作るし、そのために各センテンスはむしろ印象にのこらないように作っていくくせがある。どちらがどうということはありえないが、ぼくとかれはほんとうに何もかもが対照的な描き方をするので、そういった意味でぼくはかれを非常に有用な指標としても注目している。かれの文章を読んでひっかかったことは、すなわち全く逆に考えればぼく自身に対するひっかかりになりえる。まだまだ、かれが書きつづけていく以上ぼくも書かなくてはならないというふうに思えてくるのである。

 こういったかたちで、今までのシーズンレースとは異なるテイストで、ここにも同人誌の感想を書いていきたい。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!