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「Ferewell, My Last Sea」佐々木海月(エウロパの海)


 佐々木海月氏は本企画の前身的取り組みである「シーズンレース」においてMVW(モストヴァリュアブルライター、すなわちもっとも強い書き手、の意)を獲得している、ぼくにとって特別な書き手である。SFを主軸としながら、純文学や現代小説にも足をのばすような書き手、といえばいいだろうか。氏のジャンル幅は狭いようで極めて広いように思う。そして、どの小説においてもしっかりと理性を保った心地よい文章が続いている。この絶妙なソーシャル・ディスタンシングとしてのスキルが、ぼくが思う、氏の大きな魅力のひとつである。何を言っているのかわかりにくいと思うのだが、ぼくもよくわからない。けれどつまりそういうことだ。


 氏の、もうひとつわかりやすい魅力としては、短編も長編もその心地よさは変わらず、遥か遠くまで見渡せるような透明度の高い世界観をどちらにおいても味わうことができ、そのどちらも非常に構成力が高いことがあげられるだろう。長編でいえば「弓と空」が代表的な作品であろうとぼくは考えるが、ここで描かれている世界の美しさ、冷たさ、そしてそこから導き出される逆説的なあたたかさを本作は短編集にして味わうことを可能にしている。これは簡単なように見えて非常に難しい。長編と短編では求められる要素や読まれる要素が相当に変わるし、そのため自然と書くほうもそのサイズにフィット「させる」必要が出てくるからだ。しかし氏の作品は、奇妙なことに極めて「自然な」長さであり、しかもどのサイズであっても読み味を損なうことなく、飽きさせることなく「自然に」読むことができてしまうのだ。


 長編小説としての氏の代表作が「弓と空」であるならば、本作は短編集としての代表作たりうるとぼくは思う。サークル名のとおり、氏は海や空を好み、そこに深遠なる別世界を見いだす傾向にあるが、本作はとりわけ「海」というものがひとにとって「遥か昔に飛び出して、いつの日か還っていく、地上とは異なる世界」の(さらにひらたくいえば「あの世」の)象徴として多く語られてきたということを想起せざるを得ない。


 ぼくにとって、氏の持つ文体は、こちらを見つめながらもその焦点は遥か向こうを眺めて、ただ朴訥に語っているなにものかを連想させる。こちらに積極的に熱意を持っているわけではないけれども、確かにこちらに向けて語られている、そんな感じだろうか。それはまさに「物語」そのものだろうとぼくは思うし、そこが、ぼくの考える上で氏の持つ最大の魅力であろうと思われる。


 また、蛇足であるが本作の巻末作である「生命未満」は、ぼくが初めて氏の作品に触れたものであり、懐かしさを感じるとともに、当時は感じ得なかったこともありありと読みとれるように思えた。月並みであるが、氏の作品は海溝にたたえられた深層水のように深く、底が見えない。それでいて、どこまでも潜っていけそうな気配がして、けれど気がつけば冷たい。そんな雰囲気を根底に宿している。
 氏の作風はぼくにとってある種の理想であるが、だからこそぼくがそこにたどり着くことはないし、たどり着く必要もないのだろうと思っている。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!