#11 おもしろいひとばかりが目の前からいなくなっていくということは、自分は全然おもしろいひとではないのだな、と気がつくことと同じなのではないか、みたいなはなし



 職場は4月はじまりなので、3月末で定年やら転職やらで同僚や先輩、上司などなどけっこうな数のひとたちが退職していった。かつて上司だった気が合う先輩や、個人的に弟みたいな感じで目をかけていた後輩も昨年度で退職してしまった。職場はつまらないし、したがって職場にいるとつまらないのがふつうになっていくのがおもしろくてぼくはこの職場にいたし、今となってはここより待遇がよい職場がはたして見つかるか疑問だということでとりあえずそういう活動はしていない。そして、やめていったひとたちは、定年や病気で退職する人はともかくとして、すくなくとも昨年度、ぼくが気にしていたひとたちはみな「おもしろい」ひとたちであったと思っている。おもしろいひとたちはこの職場では合わないことが多い。なにしろ職場全体がつまらないし、つまらないことをおもしろいと思っているひとたちが大半を占めているので、おもしろいことをおもしろいと思っているとおもしろいことにならないのだ。非常に悲しいことであるが、職場への不適合というのは最初から予見されてはいるものの、大抵は待遇の良さや環境の良さでどうにかなってしまうものの、ある日急にその均衡が破られてしまうものなのだなあと感じた。そういう意味ではぼくは比較的、それこそ彼らと比較すると比較にならないほどに職場に適合しているので、多少待遇が悪くなったくらいではやめないだろうな、とは思う。もうすでに相対的に、つまり入ったときと比較すると相当に待遇が悪くなっているものの、やはりやめようとはあまり考えていないのもその証拠だと思う。
 つまるところ、ぼくは彼らから見たらつまらないことをおもしろいと思っている人間であって、つまるところ少なくとも自分はおもしろい人間ではない、ということを最近になって実感している。もちろん、こんな人間だからこそ書ける代物があるのではないかとぼくは模索しているし、おもしろい人間が必ずしもおもしろいものを書くわけではないように、つまらない人間が必ずしもつまらないものばかりを書くわけでもないだろうと考えている。だからぼくは書くことをやめるつもりはさらさらないし、これからも彼らのあずかり知らぬところでしぶとく生きていくのだろう。そう確認させられた年度初めだった。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!