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「蝸牛関係」オカワダアキナ(ザネリ)

 オカワダアキナ氏の作品はすべて、独特なビートとメロディがあって、いつまでも読んでいられる心地よさがあると思っている。ここまでぼくは「水ギョーザとの交接」「踊る阿呆」「人魚とオピネル」などいくつかの小説を読んできたが、いずれも氏にしか出せない音色と拍動であると思うし、これらは似通っているようでぜんぜん違う作品であることにも驚かされた。
 今回の作品も、読むまでにはそこそこの時間がかかっているものの、やはり最後まで楽しく読むことができた。


 本筋とは少しはずれてしまうが、本作を含めた、氏の書く主人公としての男性は非常に男性性が強く、現実にいたら苦手なタイプだろうなと思うものの、それでもすっと入っていける「なにか」があって非常に不思議である。その「なにか」を探しながらぼくは小説を書こうとしている、といっても過言ではない。ひざのうらはやおはオカワダアキナに多大なる影響を受けている。


 本作はとかくこれまで読んだ氏の作品の中でも「強い」と感じる部分が多い。最初の1ページから切りかかってくるのがオカワダアキナの小説なのであるが、本作は急に現れて居合い切りを放ってくるようなイメージだ。今まであった間合いというものがいきなり縮まって、そのままインファイトを延々と繰り広げていくスタイルだった。相変わらず文章は隅の隅まで磨かれている。今まで読んだ中でもっとも強いと感じたのは「人魚とオピネル」であるが、本作はそれを上まわっているように感じている。「人魚とオピネル」はむしろ間合いは広めにとって、多彩な動きのある小説だった記憶があり、本作とはおそらくかなりスタイルが異なる。いずれも読んでしまえばオカワダアキナの作であるということは疑いもないほど氏の文体は確立されているが、同時に氏の技術力が非常に高精度の域にあるということもわかるだろう。
 しかしながら、ぼくがもっとも好きな部分は実はそれらではない。言うなれば、氏の「とどめの刺し方」がとても好きで、この連綿と続く流れの中に、突如、しかし実は計算された予定調和のように入ってくる終局の部分が、氏の作品はいっとうきれいなのだが、中でも本作はそこにより磨きがかかっている。少なくとも書き手が書いた小説で、全体の流れ、場の支配力において、本作を超えたものを見たことがない。ぼくが一次をかすりもしなかった太宰治賞を、本作は二次選考まで突破しているという。しかし読んでみて、ぼくはむしろ、この作品が受賞しないのであればぼくが何らかの賞を受賞してプロの小説家になるということはほぼほぼ不可能なのだなあ、とどこかあきらめがついてしまった。それくらいには非の打ちどころのない小説である。このぼくがわざわざそれを明確にこの場で書いているということに注目していただきたい。それほどの作である。


 さらにいえば、氏はこれでは終わらないというか、きっとまだまだ恐るべきちからを残しているということが如実に感じられるという意味でも、本作は極めて「強い」小説であったといえる。ぼくなんかこてんぱんである。しわしわの球体の生物がぼろぼろのあんぱんみたいに駅前の雑踏に転がっている姿を想像してほしい。ぼくの心境は今まさにそれである。


 すさまじいものを読ませていただいた。まだまだ、ぼくは書かなくちゃいけないと思わされるものだった。精進します。

おすしを~~~~~よこせ!!!!!!!!おすしをよこせ!!!!!!!よこせ~~~~~~!!!!!!!おすしを~~~~~~~~~!!!!!!!!!!よこせ~~~~!