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「ランガナタンの手のひらで」伴美砂都(つばめ綺譚社)

 図書館というと、普段のぼくの生活にはあまりなじみがない。古本も、共有資源としての図書館の本もあんまり触れることがない。日本でもトップクラスの図書館が存在する自治体に居住しているにもかかわらず、そしてそれを十分知り得ているにもかかわらず、である。ぼく自身が書店ばかりに行くぜいたくな性格というのもあるが、さらにいえばものを「借りる」ということを極端に減らしたい強迫観念のようなものもあるのかもしれない。


 はなしがそれた。本作はとある架空の地方都市のとある架空の図書館を舞台にした物語である。タイトルにあるランガナタンとは図書館に携わるひとなら誰もが知っているインドの学者だという。心理学で言えばフロイト、音楽で言えばベートーヴェン、物理学で言えばアインシュタインに相当するようなひとらしいが、ぼくはこの作品を読むまで知らなかった。しなしながら、図書館が単なる「本を借りるためのところ」ではないことはよく知っている。なぜかはここでは言及しない。察してほしい。とにかく、そのランガナタンの言葉(図書館5原則)を冒頭に掲げながら、主人公の美織を中心に文字通り「個性豊かな」登場人物によって小さな、それでいてどこか一石を投じるようなドラマが繰り広げられる。痛快でもなく、また王道でもない、登場人物の濃淡を強く残しながら物語は一応の収束を見せ、後日談としての追補短編ふたつを残して本作は閉じられる。


 中心となる人物はいずれも「社会的弱者」という言葉で十把一絡げにされがちな属性を、それぞれ抱えている。具体的にどのようなものであるかはここでは言及しないが、その「特有のままならなさ」を登場人物の感情表現等を中心とした文章表現に身を任せることをあえてせず、美織のきわめてドライで、だからこそ「社会的弱者」にとってはむしろ居心地がいい視点によるストーリーテリングを徹底させることによって淡々としたストーリー構成になっているところが特徴であり、伴氏が(しばしば純文学の書き手とされ、現にぼくもこの作品を読むまではどこかしらでそう思っているところがあったのだが)大衆小説の書き手としての強みがもっとも出ているところではないかと思う。


 つばめ綺譚社には様々なクリエイターがいるが、小説としては伴美砂都氏のほかに、紺堂カヤ氏という書き手が主に活動している。いずれも優れた大衆小説の書き手であり、その作風がほぼ対照的であるところが非常におもしろい。伴氏が静的表現、紺堂氏が動的表現をそれぞれ得意としており、様々なジャンルを手がける紺堂氏と、一貫して現代ドラマを中心に書き続ける伴氏。これだけでも、ふたりがいかに対照的な作風かがおわかりかと思う。
 いずれにおいても、小説の技巧としてはぼくがこれまで見てきたなかでも粒ぞろいであるサークルには間違いないので、もしエンタメ、とくに大衆小説が好みである場合はつばめ綺譚社をチェックしておいて間違いはないだろうとぼくは思う。

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