仕える師が大事。米国留学時の歴史で 、パールハーバーをやったあの日。
仕える師って大事だな、と。
アメリカ小学校の社会科クラスで、「自分が日本人である」というアイデンティティを強烈に叩き込まれた話というのがTwitterでバズってたので思い出した話なんですが。
• アメリカ小学校の社会科のクラスで
• (当時) 日本人の子が
• 「自然災害」というテーマを扱った授業で
• 同級生に「パールハーバー」について取り上げられ、先生は容認し
• 自分が「原爆」について取り上げようとし、怒られる
という概要。
まぁ、日本人がいるとわかった状態で、これは、なかなか・・・ね。という話。
実は、私にもアメリカでふらっとしてた時があり、普通高校に1年間通っていまして、上記と似たように歴史の授業をとっていた。
インディアンから、植民地の話、ボストン茶会事件、南北戦争、第一次世界大戦、冷戦などなど。
とくれば、近代史なので、まぁ、、、第二次世界大戦も扱う。
ある授業終わりに先生に呼び止められると
「おい、ショウタ。次回からは、パールハーバーから第二次世界大戦だ。歴史を扱うからには、避けられないし、日本が行ったことも、アメリカが行ったことも話すつもりでいる。もちろん辛い話にもなると思うし、その場合に離席してもいい。私も初の経験だし、どうなるかわからない。心構えだけしておいてほしい」
的なことを言われたのだけ覚えている。
私は、恰幅のいいスキンヘッドで、ピンクのシャツにベージュのパンツな歴史の先生には大変お世話になったし、ここまで心遣いをしてもらったことだけで幸せだな、と思った。
話はここで終わらない。実際の授業は、最高だった。
パールハーバーアタック前後の流れはもちろん、アメリカの軍備状況やルーズベルト大統領の書簡まで出してきて、「真相はわからないが、アメリカはこれを守れたはずだし、わざと攻撃を受けたと見ることもできる」とかいう話から、それでも開戦を告げることなく攻撃することはどういうことか、という話までした。
誰も贔屓せず、どっちに寄ったりせず。史実をいろんな角度から掘っていくというのは非常に面白かったし、私も前のめりだったこともあって「日本ではどういうふうに教えられているんだ?」みたいな話までした。
最初は、日本人がいるという環境の中で第二次世界大戦の話をするというのになんとなく冷めた雰囲気のあった教室も、日本やアメリカなんて括りではなく、当時の世界情勢をどう紐解いていくのか、学び取るべきはなにかに必死になったのを記憶している。
「ここの教室には、アメリカ出身の人間もいれば、ご存知日本人もいる。ドイツの友人がいるものもいれば、イタリアにルーツがある人もいる。このトピックを扱う上で、今目の前にいる相手を決めつけることをしなかった君たちを誇りに思う。いつも言うように、歴史には色々な解釈があり、そこからなにを掴みとるかは君たち次第だ。ただ、少なくとも教室がギスギスしないためには、戦争はないほうが良さそうだということは事実のようだ」
みたいに締めたのは覚えている。
(たしか喧嘩っ早い生徒が、「You are right.」っていって、みんなで笑うオチがついていた・・・ような気もする。違う話だったかな。)
同じ時期に留学をしてたメンバーには、冒頭の感じとは言わないまでも、息苦しさを感じた子や配慮という名の離席もあったそうで、、、まぁ、単位を取る必要のない交換留学生ならさもありなんという感じではある。敵味方のルーツを持つ人をひとところに入れて歴史を語るというのは難しいのだ。それだけに、心底あの先生でよかったな、と思う。
実は、一般の高校に通ったことがないので、歴史の授業は、実はあれっきりな気がしている。大学も一般教養すっとばしたし。
だいぶ忘れてきたけれど、日本史よりもアメリカ氏のほうが得意なんじゃないかとすら思う。笑
歴史を色んな角度で見つめたり、学びを抽出したりする面白みみたいなものを感じさせてもらった1年間だった。
ほんとに、あの先生でよかったなと思う。
(資料が詰まりに詰まって重かったけれど、歴史の授業で使ったバインダーは帰国のときに持って帰ってきたし、今でも大事に保管している。)
結論
・・・もっと、寛大な心と気遣いと振る舞いで他の人に学びを与えられるようになろう。
ご支援は新鮮なお野菜に変わり、やがて文章となる見込みです。