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田舎ソサエティ的マイノリティ

自分で言うのも何だけど、タイトルがふわふわしている。
決して何かを問いかけるものでもなければ、誰かを批判するものでもないのでご心配なく。

ごく普通(相対的貧困層)の家庭で生まれ育ち、高卒のまま就職氷河期に社会へ出港。
そして男女不平等を『作り笑顔』で生き抜いてきた筆者ですが。

そんな筆者が考える、「田舎ソサエティ的マイノリティ」のお話です。
*あくまでも『田舎』と言う狭い社会の中に限られたものです*

子供がいない=マイノリティ

筆者、現在45歳です。
20代の頃、一度結婚をしましたが、10年で破局。残念ながら子供はできませんでした。

その頃、ご近所のマダム達の中では「出戻り娘」の話題で持ちきりだったそうです。

子供のいない出戻り娘、これは格好のネタです。
なぜなら、田舎ソサエティでは『結婚したら子供ができるのは当たり前』だから。

子供を授かれなかったのではなく、「子供はいらない」と言う選択をしたと思われたのでしょう。
授かれないという状況も、田舎ソサエティからすれば『ちょっと違う人』にカテゴライズされてしまいますが。

面白いのは、いまだに「頑張ったら妊娠できるってば」「〇〇さんは40歳すぎて子供を授かったわよ?」と励まされること。
不妊治療が45歳の女性に与える身体的&経済的リスクは全く考えていない、何ともありがたい(?)アドバイスです。

外国人と結婚=マイノリティ

パートナーの国籍がどうこう言う前に、まず英語が話せる時点で少し驚かれます。
そして、パートナーが日本人ではないと分かるや否や

「外人と付き合いたいから英語勉強したの?!」

と。

いえ。
別に外国人のパートナーが欲しくて英語スキルを身に付けたわけでなく、純粋に、全く違うカルチャーで育った人たちと交流したかったからです。

パートナーが外国人なのは、偶然。

確かに、英語を多少話せるようになったことで、お付き合いの幅は広がりました。でも、別に好みのタイプが変わったわけではないし。

もしも相手が日本人で、今のパートナーと同じような関係が築けたとすれば、迷うことなくお付き合いしたでしょう。

外国人と付き合う、もしくは結婚することが、『社会的少数派(マイノリティ)』にカテゴライズされる不思議。
田舎ソサエティならではの感覚です。

(因みにパートナーのことを「外人」「黒人」と呼ばれると吐き気がします)

女性ひとりで実家を守る=マイノリティ

30代で離婚、実家に身を寄せて14年が経ちました。
親子揃っての失業、水害や地震にも見舞われた怒涛の14年。いま振り返っても「よく頑張ったなぁ」と思えます。

家の補修や支払いに追われる中で、ご近所のマダムや職場の同僚に勧められたお見合いは、延べ10回。「〇〇さんがあなたに紹介したい人がいるって言ってたわよ」の時点でお断りした分も含めると、もう少し多いかも知れません。

筆者の選択肢に『再婚』がないにも関わらず、ゴリ押しされました。

これは、「女性がひとりで家を管理するのは無理」と言う常識(?)に基づいた善意(?)からくるものです。

いろんなお相手を紹介されましたが、基本的な条件は同じ。
⚪︎50代後半から60代
⚪︎公務員
⚪︎結婚歴なし
⚪︎飲酒やギャンブルをしない
⚪︎両親と同居

田舎ソサエティ的『いい人』テンプレートでしょうか。

筆者的には『どうでもいい人』にカテゴライズされます。

デートを重ねる女性=マイノリティ

30代は、とにかくがむしゃらに働いていました。
本業の他にアルバイトをして、たまの休日は雑用バイト。庭の草取りや粗大ゴミの処分を手伝って、小銭をいただく日々。

それでも『女性としての自分』を諦めたくなかったので、婚活サイトで出会った男性とデートを重ねていました。
本当に忙しくしていたので、ほんの2時間だけ、食事したりコーヒーを飲んで会話したり、その程度です。

お相手の方も、いろんな話ができる女性を探していたようなので、Win-Winの関係でした。

それでも周囲からは「いつ結婚するの?」「相手は再婚?子供はいるの?」「工場勤務?え、将来不安じゃない?」と聞かれ続け。

筆者がデートの相手に求めた条件は、会話のテンポと話題の豊富さ。そして礼儀。
再婚相手を選別しているわけでもないのに、なぜか周囲は筆者が『旦那様』を探していると思い込んでいたようです。

どうやら、全ての出会いのベースには『結婚』があるそうです。(ねぇよ)

「もうホテル行った?」「やっぱり共働きになるの?」「どっちの家に住むの?」と、まぁひどく親身になって心配してくださいました。

何度キレかけたことでしょう、「None of your business」ってね。

私は私なのでお構いなく

例を挙げればキリがない、田舎ソサエティの不思議ルール。
筆者の世代は、まぁルール下に生きる術を身につけている方だと思います。
周囲の常識こそ正義。みんなそう思っているから正しい。

「みんなそうでしょ」の呪縛。

理解はできるが心地よいものではない。

それでも、反論にエナジーを使うつもりはありません。
「違う!そうじゃないんだ!」と声を上げるつもりもありません。

だって、どんな世界にも決して分かり合えない人たちっていますから。

大切なことは何か。

正しいとか間違っているとか、そんなことではなく。
人には人の価値観があると、そのまま受け入れることではないかと。

そう思うのですよ。

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